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Demo Track's

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離陸を待つ曲たちを集めた一人多重録音集。

アーティスト情報

  • 鈴木ナオト

    小学六年生の時、ビートたけしのスーパージョッキーにアヒルの口や烏の泣き声、ジャイアント馬場などの形態模写で出演し、たけしの前でたけしのマネをしたら審査員の春やすこや高田みづえ、松田聖子等にウケて賞金十万円をかっさらった経験あり。 しかし実は本番前に番組プロデューサーから「直人くん、たけしさんのマネは放送時間上の都合で無しにしてもらっていいかな」と言われていたのにも関わらず、それを無視して強攻した為に、プロデューサーの懸念通り番組は途中で切れてしまうという放送事故を起こす。 しかし遊び感覚で出たこの番組が実は鈴木ナオトの音楽の原点に。 この頃、当時のギターキッズなら誰もが欲しがった「白いギター」を参加特典で頂戴し、その白いギターが“オレを弾いてくれ!”と訴えてきたのが高校一年生の時。 浜田省吾などのコピーをして弾いてはいたが、真面目に練習などしなかったぶん上達も遅く、今もギターが下手なのは初めに付き合ったギターが白いギターだったから、という説もある。(現在の愛器はGibson J-45) 高校卒業後、東京ディズニーランドのダンサーとして一年間活躍したものの、若さ故にか数々の悪態と過度なパフォーマンスが引き金になり退演。 たぶん、現役ダンサーが謹慎処分を下されたりした人間は彼くらいではあるまいか。 その後、銀座のパブやシェラトンホテル等で配膳の仕事を経て、アメリカはN.Y.へ留学の為渡米。しかし実際のところは一度も学校へ行くことなどなく、日本食レストラン等で働いて生計を立て、現地野球チームへ所属して野球をしたり路上ライブでひどい目に遭ったりと、留学とは遊学の為のただの手段であった。 N.Y.から帰国後、運送のバイトや警備員、ちり紙交換の運転手やライブハウスの店員等々、いったい何者になりたいのか自分でもよく分からないバイト生活を送っていたが、同時期に千葉ルックというライブハウスでライブ活動を開始。しかしまたも日本の社会からドロップアウトしてアジア放浪の旅へ。タイ縦断、中国シルクロード、チベット、ネパール、インド等の国々でのんべんだらりをキメこむ。 帰国後、渋谷エッグマンで再び音楽活動を開始し、元々は弾き語りのスタイルで活動していたが、07年の川崎クラブチッタライブをきっかけにバンド活動も平行して行うようになり、現在は弾き語りスタイルに加えてアコギ&ドラムのツーピース形態、12年の赤坂BLITZライブより、ギターに近沢博行らをサポートに加えてバンド形態でも活動中。13年4月には関東ギターエロスvol.48に東京代表として出演して会場を沸かせた。その他仕事として、06年10月に設立したボーカルスタジオ「ボイスタ!」の主宰でもありボイスクリエイター。TVナレーション、歌詞提供等。かつては世界的影絵作家である藤代誠治氏や作曲家のいずみたく氏との出逢いをきっかけに、銀座博品館劇場等でミュージカルに準主役で出演していたりと、何だか色々な経歴を持つ歌うたいであるが、公私共々下ネタ好きで有名な、ただの健全ロケンローラーである。

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