大山山頂縦走路 ~エクステンデッド1729~ (オリジナル)のジャケット写真

歌詞

大山山頂縦走路 ~エクステンデッド1729~ (オリジナル)

HOUTEN3

春になって

雪がとけて

水になって

山を下る

沢が生まれて

谷が広がり

山を刻む

大山山頂縦走路

何千年も

何万年も

そんなことが

くりかえされて

いつの日にか

僕の愛した

山も消える

大山山頂縦走路

An Old Extinct Volcano

大山山頂縦走路

北の壁も

南の壁も

石が落ちる

土が崩れる

痩せた尾根の

呻きが聞こえる

山が裂ける

大山山頂縦走路

春の風も

夏の雲も

秋の雨も

山を削る

創りし神が

自ら壊す

人は無力

大山山頂縦走路

An Old Extinct Volcano

大山山頂縦走路

キャラボク茂る

広い頂(いただき)

人が登る

僕も登る

三角点の

先にはだかる

尾根は刃(やいば)

大山山頂縦走路

風が渡り

鳥は歌う

険しい山は

人を拒む

朽ちゆく路(みち)を

渡るあの人

山のマイスター

大山山頂縦走路

An Old Extinct Volcano

大山山頂縦走路

An Old Extinct Volcano

大山山頂縦走路

大山山頂縦走路

大山山頂縦走路

大山山頂縦走路

大山山頂縦走路

An Old Extinct Volcano

大山山頂縦走路

  • 作詞者

    HOUTEN3

  • 作曲者

    HOUTEN3

  • プロデューサー

    HOUTEN3

  • シンセサイザー

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  • ボーカル

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  • バックグラウンドボーカル

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  • プログラミング

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    大山山頂縦走路 ~インストルメンタル~ (Karaoke)

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    大山山頂縦走路 ~エクステンデッド1729~ (オリジナル)

    HOUTEN3

日本百名山の一つ、鳥取県の大山への憧憬を曲にしました。
ボーカル・バージョンとそのカラオケです。

この曲には、別に春山バージョンである「大山山頂縦走路 ~春山に遊ぶ~」がリリース中です。作者のHOUTEN3は、さらに、夏山バージョンと日本百名山バージョンを制作中です。

アーティスト情報

  • HOUTEN3

    音楽をほとんど聴かない若者だった私が、音楽にめざめたのは、大学生時代に初めてKraftwerkを聴いたときでした。 すぐに、かれらの熱烈なファンとなった私でしたが、そのころはまだ、他人の創った音楽を聴くだけの普通の音楽ファンにすぎませんでした。私が、自ら音楽を創るという行動に向かいはじめたのはユニークな理由がありました。 音楽に目覚めはしたものの、ヘンコツ者の私にとって、聴く価値があるのは、Kraftwerkの音のみだったのです。「Kraftwerk以外のテクノは、すべてKraftwerkのマネにすぎない」。これが、私の音楽論でした。しかし、ご存知のように、彼らは1981年の「Computer World」以降、長い沈黙を保つようになりました。次作にあたる「Electric Cafe」のリリースは1986年。「TheMix」のリリースは1991年。10年間で、アルバム2枚。たいへんな寡作ぶりです。 シングル「Tour de France」(1983)は、日本ではリリースされず、私が初めてこの曲を聴いたのは、リリースされてから18年後です。 というわけで、音楽に目覚めたばかりの私は、かれらが新しいサウンドを提供してくれないのなら、自分で創り、自分で聴くしかない。というわけで、安い機材を買いそろえ、自分で音楽の勉強をし、「自分で作って自分だけが聴く=音楽の自給自足生活」と称する音楽生活が始まったのでした。 そんな私でしたが、2000年代、自分の才能の限界にぶちあたりました。私の目標は、テクノを作るのではなく、Kraftwerkがテクノを生み出したように、自分もそれまでになかった全く新しい「音楽のジャンル」を生み出すという大それたものだったのです。しかし、そんなことを成し遂げる才能など、自分にはないことを思い知らされたのです。 割り切った私は、方向を転換し、今度は思い切りKraftwerkのマネをする。すなわち、妙な拘りは捨てて、自分も「どテクノ」を作ることにしたのでした。その手始めとしてやったのが、「The Blend」と称するKraftwerkのトリビュート作品です。これは、1991年に、彼らが自分たちの過去作品リミックス(実際はリメイクですが)して作った「The Mix」にあやかったもので、コーヒーみたいに、Kraftwerkの楽曲を、いい感じでブレンドしたものです。当時は、まだvocaloidもなく、ヤマハがXG音源用にい開発した、「DTMに歌を歌わせる」ためのフォルマント・シンギング音源を駆使して、あのロボット・ボイスを再現しました。もちろん、著作権の問題があるシロモノですが、これは彼らの新作を待ち焦がれる熱烈なファンたちのために、「私が当面の代用品を提供します」そんなコンセプトによるものでした。このBlendシリーズは、 25曲あり、他にKraftwerkを題材としたオリジナルのトリビュート曲を20曲くらい作りました。 2003年の「Tour de France Sound Track 2003」以降、Kraftwerkは新作は出さないものの、勢力的にコンサート・ツアーをするようになりました。フラストレーションに呻いていたファンたちの耳の渇きはいやされるわけですが、このとき私は自分の役目(?)も終わったと考え、Kraftwerk Tribute路線に幕引きすることにしたのでした。 その後、仕事の都合で多忙な続くなか、私は音楽活動そのものから遠ざかることになりました。そんな私に、ひとつの影響を与えたアーティストが、中田ヤスタカさんでした。彼の音楽自体に診せられたというよりも、音楽クリエーターとしての、ポリシー、音楽観、ライフスタイルに大いに感化されたのでした。ある紹介番組で、「Dream Fighter」がオリコン1位になったときの話です。Perfumeの3人が曲を絶賛。アナウンサーが「では、中田さん本人の話を伺ってきました。」自分の作った曲を絶賛するperfume3人の映像を見た中田氏が放った一言は、「どんな曲だったっけ?」でした。 もう、私は唖然として、この人は化け物だ・・・・。と思わざるを得ませんでした。別の紹介番組で、中田氏がこれからの目標として語ったのは、「いつまでも、やりたいことだけをやってることが許される人でいたい」。なんとうらやましい人生・・・・。今の私の音楽創作スタイルは、こんな中田氏のことばに、大きく影響を受けています。 私の創作ポリシーは、「音楽なんてテキトーに創りゃいい」なのです。 o

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