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ギターからほとばしる衝動から恍惚まで。更に過熱を止めないJ-FUSIONの核心(コア)を付く重要作!
今作はいつにも増してアグレッシヴで豪快なギターを披露!悶絶もののファンクからメロディアスなメロウ・フュージョンも冴え、聴きたかった松原が存分に弾けてます。
ハイライトは、ヘヴィーなギター・サウンドでドライヴ感の真髄を図太く貫く、ハード・エッジな“攻めまくる”楽曲。
地鳴りをあげて大地を這うような重たいリフと、ウネりながら咆哮する強靭なソロ。ココまで激しく、荒ぶる松原を待っていた!フュージョン世代がロックに抱いてきた不満を、そして、昨今の“ぬるい”フュージョンに対する不満を、一発解消させてくれる痛快な弾きっぷりだ。
今作でのポイントはもう一つ。70年代のジェフ・ベックが得意だったファンクとのクロスオーバー路線を、より骨太なアーシーな方向に持ってったミーターズ的な“生身のファンク”。常人には到底困難な、バンド全体によるキメ細やかなタイトなリズムの応酬。カッティングやワウ・ペダル・ワークでのグルーヴのユニークさと、その上で湧き上がるフレーズの豊富なバリエーション。たまりません!
より本物志向が追求される現在、こだわりを持ってギターを愛してきた人達が、待ち望んでいたのはこんな作品。これまでどれだけのギター・フリーク達が虜になり、研究してきたか計り知れないほどの松原正樹というギタリストの唯一無二な個性。チョーキング、ヴィヴラートに込められた魂の波動。歪み、サステイン、揺らぎの微細な音色の変化。ボーカリストを超える<うたごころ>をベースにしたソウルフルなメロディー、フレーズで展開される松原ギター・ワールドは、さらに進化している。
松原正樹 MASAKI MATSUBARA 1954年福井県武生市(現在の越前市)に生まれる。 生家はハイカラだった祖父が始めたダンスフロアーを持つBarを営んでいた。父と母が踊る姿と様々な音楽に幼少の頃から触れて育つ。その店で働いていた青年が弾くギターに憧れ彼に教えてもらうようになる。これがギターとの出会い。中2の時だった。 高校卒業後、合歓音楽院に入学したが先生の勧めで半年後には上京、米軍キャンプなどで演奏を始める。 74年、ハイ・ファイ・セットに参加し全国ツアー、TV出演等約2年間活動。同じ頃、上田正樹のプッシュ&プルにも加わり活動。当時の歌番組は生演奏だったのでプレイを聞いたレコード会社のプロデューサー達にレコーディングに呼ばれるようになる。その後スタジオワークを中心に数多くのレコーディングセッションに参加してきた。 そのセッション活動の幅は、松任谷由実、松山千春、さだまさし、辛島美登里、徳永英明、岡村孝子、永井真理子等のシンガーソングライターから、アイドル系の松田聖子、中森明菜、小泉今日子、光GENJI等をはじめ日本のアーティストの殆どに関わると言っても過言ではない。レコーディングに参加した曲は優に一万曲を超える。 自身の活動としては、78年に初のソロアルバム「流宇夢サンド」を発表以来、24枚のソロアルバムと3枚のベストアルバムをリリース。ソロ活動の他にも79年からパラシュートを結成し4枚のアルバムを発表。当時の若者に絶大なる支持を得る。その後もAKA-GUY、TRIFORCE、ON-DO、4ROCKAMBOS、SEVENと様々なプロジェクトでアルバムを発表。 2003年ソロ・デビュー25周年記念ライブ、そして2008年30周年記念ライブ、2013年35周年記念ライブはCDとDVDで発売され大変好評を得ている。 スタジオミュージシャンとして超多忙だった80年代の始め頃より自宅にレコーディングスタジオを持ち、2000年には、妻の作編曲家キーボーディストの南部昌江と共にインディーズレーベル"Rocking Chair Records”を立ち上げ、打ち込み等を使用しない人間の生演奏を大切にしたアルバム”HUMARHYTHM"シリーズを発表し続ける。録音~MIXをも自ら手がけ、音楽に関わる様々な機材や録音のノウハウにも積極的に取り組み、他のアーティストのサウンドプロデュースなども行ってきた。2014年には還暦記念のアルバム「現実と幻覚」を発表し記念ライブも行った。ところが翌年病が発覚、2016年十二指腸癌のため他界。享年61歳。
Rocking Chair Records