27年前の私に送る秋田の詩たち。のジャケット写真

歌詞

私は婆さんの死を知らない

鈴木 諭

私は婆さんの死を知らない

思えば怒鳴り声しか聞こえない家だった

年がら年中

婆さんと母の喧嘩

台所のガラスが揺れている

床の抜けかけた畳が軋む

テレビの音は何も聞こえない

婆さんの肩を持ち続ける父さん

母が小さな私を抱え

白い軽自動車に乗り込むと

車を蹴りつけて怒鳴る父さん

母さんのことを

「んが」と怒りの籠もった

秋田弁の二人称で怒鳴る父さん

揺れた車の振動

墨をこぼしたような夜

鈴虫が心地よく鳴いている

秋田の夏の夜

その後

母が泣きながら実家に電話していた

私はそれをただ見ていた

涙とはこういうものかと

私は知った

私だけは母の味方でいなければならない

私だけは

私だけは

私だけは

それが私の父と母に関する

最も古い記憶であり

私が物心ついてからの

最も古い記憶だ

私が保育園児の時

父と母は半年別居した

父は妹を離さなかった

母は私を離さなかった

同じ森岳第二保育園に

私と妹

それぞれの家族の車で送迎された

半年間妹と会うのは保育園だけだった

私は家族の意味をよく知らない

車に乗って能代のジャスコに

買い物に行ったら

ちょうど父と婆さんと妹が乗った

黒い車が入口で右折していた

その時右折をしていた光景が

私は忘れられない

注意深く対向車線を見ながら

右折してた光景が

母から

父と婆さんの文句を聞かされて育った

特に婆さんだ

私にとっていつしか婆さんが敵となった

優しい言葉をかけた記憶も無ければ

労った記憶もない

敵だ

敵なんだ

母さんがいつもそう言っていた

私は母の味方だ

それを裏書きするかのように

犬を川に投げ捨てる現場も見た

そうだやっぱり悪なんだ

婆さんは悪なんだ

母方のおばあちゃんは大好きだった

何故なら母のおばあちゃんだからだ

母のおばあちゃんはおばあちゃんだ

父の婆さんは婆さんだ

おばあちゃんと婆さんは違う

私の中では確かに違う

いつしか時が経った

三年前の冬

婆さんが死んだと母から電話があった

父さんが朝起きたら

畳の上で這いつくばって死んでいたそうだ

私はちょうど

二週間後に帰省する予定にしていた

どうせすぐ帰るし

バンドの練習もあるから

火葬も葬式にも帰らないことにした

母さんもそれでいいべと言った

私は涙の一滴も零さず

晩御飯の米を研ぎ始めた

水道管の水が

いつもより生ぬるかった気がする

妹は泣きべそをかきながら

急いで帰ってきたらしい

二週間後、

珍しく晴れた冬の日

私は秋田に帰った

すぐ遅れる冬の奥羽本線すら

遅延せず森岳駅に着いた

いつものように母が車で迎えに来ている

家に向かって運転しながら

私の好物のハタハタを焼いて待っていたと

楽しそうに話していた

私は流石に家に着くなり

仏壇に真っ先に向かった

いつもしかめっ面で

機嫌の悪そうな顔をしていた婆さんが

遺影でニッコリと微笑んでいた

私は婆さんの死を知らない

私は婆さんの死を知らない

私は婆さんの死を知らない

私は婆さんの死を知らない

  • 作詞

    鈴木 諭

  • 作曲

    鈴木 諭

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アーティスト情報

哥処 墨林庵

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