つつじ、愛、愛の花よのジャケット写真

歌詞

つつじ、愛、愛の花よ

太一

つつじ恋の花よ

つつじあい、あい

ピンクのつつじの花言葉は

恋の喜び僕たちの運命の物語

つつじ愛の花よ

つつじあい、あい

白ピンクのつつじの花言葉は

初恋生まれ変わって出逢う僕ら

つつじあい、あいの花

桜より遅く咲き

長くピンクで春を彩る

僕が緊急入院した

3階の病室の窓から

1階の外一角だけ咲いた

つつじをあなただと思って

ただ見守って想ってた

運命のあの人は無事生きているだろうか

僕が生き残った理由は

この一生の最後に分かるのかな

運命の人よどうか

前世が儚く散る花のようだった分だけ

幸せに生きてくれ

僕たちはすれ違って生まれてきたけれど

今は違う場所で、春で、愛の花を見ている それだけでいい

つつじ愛、愛の花

桜より遅く咲き

長くピンクで春を彩る

  • 作詞者

    太一

  • 作曲者

    太一

  • プロデューサー

    太一

  • ボーカル

    太一

  • バックグラウンドボーカル

    太一

  • ラップ

    太一

つつじ、愛、愛の花よのジャケット写真

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    つつじ、愛、愛の花よ

    太一

桜よりもつつじが春の花だと私は思うのです。
閉鎖病棟の3階の部屋の窓から、愛する人をつつじに重ねて、「無事だろうか」と花を見守っていたことから生まれました

アーティスト情報

  • 太一

    太一 1992年11月28日 愛媛県松山市生まれ 音楽との出会いは早かった。小学生にして音楽集会を演出し歌っていた。6年生で松山少年少女合唱団と出会い、合唱から本格的に音楽の道を楽しんでいた。楽しみは高校3年生まで裏声で歌い続け、止まらず続き、約10歳差もあるチビの弟分妹分とアンバランスのノッポの太一は、太一兄ちゃんと親しまれる、みんなの太一、その人柄が出来上がっていた。声楽も学び、若いうちにポップスなどとほぼ全くと言うほど関わらない、しかし音楽を楽しむ感性が育まれた。 高校入学後やりたいことに迷っていたが、友達の勧めで劇団を見学、すぐ入団、演劇人生が始まる。17歳にして500人以上のキャパシティの劇場でミュージカルそして難解なシェイクスピアのストレートプレイで主役を任され評価された。音楽から離れ、俳優を志し日本大学芸術学部演劇学科演技コースへ進学。学内外で、俳優、演出助手、舞台監督経験を積み、最終的に日芸の、そして演劇学科の未来を想い、多学科コラボのミュージカル団体を立ち上げた。 映画まで決まっていた大学卒業1ヶ月後、人生のターニングポイントがくる。 突如脳の不思議。行動がおかしく、各所様々な大人に助けられて緊急入院。原因不明の「統合失調症」と地元に帰り診断される。退院後も壮絶な9年間の闘病生活、地獄の日々、、挑戦を続けた。セカンドオピニオンで調合した薬がピッタリ合い、奇跡が起こりほぼ完全に病気打ち勝った。 そう、9年間現状がどうしようもなく足踏みしていた時に出会ったのが、また音楽。アコースティックギターとポピュラー音楽教室だったのだ。 体調の不安がありながらも近所で通えて1年、ちょっと曲作ってみようかなと思い立ち簡単になんか出来たなぁと思った最初の曲 、それが配信曲「白猫が目の前を横切ったら」 音楽教室をびっくりさせる色んな要素が入った曲、認められ自信がつきまたどんどん曲が出来て、シンガーソングライター、、、?という言葉が。 一瞬で消えない残る芸術、小学生から始まった優しい音楽の世界で、自分の曲で生きていくこと、それが本当の夢になり、苦しくても必ずシンガーソングライターになるって強い意志が、闘病生活を支えた。 どこから生まれてくるのかというアイディアの曲、もしくは苦しんだからこそ書けるストレートな曲、人柄があふれた個性的な曲を書く。 病気をカミングアウトをし、苦しんでいる人の心に寄り添えるように一度死にかけた人生、神様が生かしてくれてやはり音楽を届けることを使命にしろってことかな?歌い続ける。 シンガーソングライターとして、自分がやりたいことをやる、自分が楽しめて人も幸せにする。フォークにポップにロックにカッコよくギターで弾き語る。歌い踊る。 色んな経験からでてくる太一という面白い【アーティスト果実】を色んな切り口で、丸ごと楽しんでもらいたい

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