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1984年、高校生だったCAKE-Kが渋谷のタワーレコードで初めて、いわゆる『ジャケ買い』をしたアルバムがBernard Wrightの"Funky Beat"だった。
盤に針を落としてみれば、それはお目当てのヒップホップとは程遠いジャズだった。
あれから40年、当時の苦い体験と共に数々の記憶が蘇る。

ヒップヒップの未来なんて考える余裕もなく、とにかく日々実践に明け暮れたあの頃の若者たちは、やがて家族を持ち社会に揉まれ、地元の口うるさい先輩となって次世代の若者たちにストリートのイロハを教える。
ヒップホップ・カルチャーの裾野がこんなに広がるとは誰が想像できただろう。
日本にヒップホップ・カルチャーが上陸して40年目を迎えたのが2023年
50周年に向けてまた歩き始めた日本のマイル・ストーンとして、CAKE-Kが全てのBボーイに贈るアンセム『ファンキービート』

1984年のヒップホップ・ムービー『ビート・ストリート』を知っている世代ならニヤっとするフレーズをフックもってきたCAKE-Kのセンスと造詣の深さは秀逸。

今こそ大事に閉まっておいた夢にもう一度袖を通して繰り出そう!

Artist Profile

  • CAKE-K

    ジャパニーズヒップホップの創成期を築いたキーパーソンの一人。 ブレイキングに関しては、ブレイキング界のレジェンドたちが賞賛する存在。 ラップに関しては、キャリアと技術において日本語ラップの頂点に君臨、CAKE-K無くしてシーンを語ることはできない。 1984年高校の友人だったホリエ(現・Harucalloway)と実弟のサブローとでブレイキング・クルー『ミスティック・ムーヴァース』結成、 原宿ホコ天ではユニフォームを揃えショーを目的として活動をした最初のブレイキング・クルーということになる。 1986年ブレイク・ダンス冬の時代到来をきっかけにラップに目覚める。 1987年ケニーBと結成したラップグループ『ザ・ホームボーイ』に影響を受け、 日本語ラップの父であるBELLやクレイジーAがラッパーに転向し始める。 1989年伝説のユニット『B-FRESH POSSE』に所属。 (当時の主要メンバーはMC BELL、CAKE-K、MURO、DJ BEAT、DJ KRUSH、DJ SEIJI) その後メンバーを再編成し、BELLとDJ BEATとで『B-FRESH』結成。 1990年の自主制作盤『SHE SAID』発表をきっかけに1991年キングレコードと契約。 シングル、アルバム、リミックス・アルバム、ベスト・アルバムなどリリース。 2004年ファーストソロアルバム『ぼくらの必修科目』リリース。 現在、レーベルboomistaのアーティスト、プロデューサーとしても活躍中。 YouTubeチャンネル『082TV』のホストとしても出演、日本ヒップホップの有益な情報を発信している。

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