中也の春のジャケット写真

歌詞

また来ん春……

松戸モード

また来ん春と人は云う

しかし私は辛いのだ

春が来たって何になろ

あの子が返って来るじゃない

おもえば今年の五月には

おまえを抱いて動物園

象を見せても猫といい

鳥を見せても猫だった

最後に見せた鹿だけは

角によっぽど惹かれてか

何とも云わず眺めてた

ほんにおまえもあの時は

此の世の光のただ中に

立って眺めていたっけが

立って眺めていたっけが……

  • 作詞者

    中原 中也

  • 作曲者

    Yuji Konno

  • プロデューサー

    ARTCHIC

  • ボーカル

    松戸モード

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中也の春

松戸モード

「中也の春」は、中原中也の詩の中で春をイメージさせる詩8篇を厳選し、プロデューサーARTCHIC(アートシック)が現代的な音楽として解釈したコンセプトアルバムです。「中也の秋」「中也の冬」に続くシリーズ第3弾として、中也の詩を現代でも自然に響く形で音楽化することを目指し、5名の異なるAIシンガーを採用し、多彩なジャンルでお届けします。

最初の曲は、中也の代表作として挙げられることも多い「早春散歩」です。世間が春の訪れに心躍らせる中、一人だけ「淋しい心を抱いて」歩く詩人の姿が描かれています。「空は晴れてても、建物には蔭があるよ」という冒頭の一節は、早春の情景描写であると同時に、詩人の内面を暗示しています。「まるで過去がなかったかのように」振る舞いながらも、「思うことにも慣れきって」春を迎える――その諦念にも似た心境は、中也が幾度となく経験した喪失の記憶と無関係ではないでしょう。この楽曲はアンビエントインディーフォークをベースとして制作しました。繊細なアコースティックギターの響きと、大気のように広がるシンセレイヤーが、早春の土手を歩く詩人の孤独な足取りを音楽的に描き出しています。松戸モード(マツドモード)が、この楽曲を内省的な歌声で歌いました。彼の落ち着きと深みのある声が、静かに淋しさを噛みしめる詩人の心境を繊細に表現しています。

2曲目は「春」です。「悲しみの詩人」として知られる中也には珍しく、この詩には、春そのものの生命力が素直に表現されています。土と草に汗をかかせ、雲雀を空へと昇らせる春の活力。長い校舎から立ち昇る合唱。「ああ、しずかだしずかだ」という一節には、春の充溢に圧倒され、「呆気てしまう、バカになってしまう」詩人の姿があります。この楽曲はドリーミーなインディーフォークロックをベースとして制作しました。アコースティックギターの温かな響きを基調に、間奏と後奏では柔らかなエレクトリックギターが春の日差しのように降り注ぎます。一水鐘(イッスイ ショウ)が、この楽曲を繊細で透き通った声で歌いました。彼の落ち着きのある歌声は、春の訪れをそっと噛みしめるような穏やかな明るさを湛えています。

3曲目は「春と赤ン坊」です。長男文也の誕生から半年ほど後に発表されたこの詩には、春ののどかさがそのまま詠われています。菜の花畑で眠る赤ン坊を中心に、空では電線が鳴り、向こうの道を自転車が走り去り、薄桃色の風を切って菜の花畑や白雲までもが「走ってゆく」。眠る赤ン坊を世界の中心に据えた、穏やかで幸福な春の一瞬を切り取った作品です。この楽曲はジョイフルなインディーエレクトロニックをベースとして制作しました。きらめくようなプロダクションとリバーブに包まれた響きが、詩の持つ夢幻的で幸福な雰囲気を現代的なサウンドスケープへと昇華させています。昼見月笑(ヒルミヅキ エミ)が、この楽曲を可愛らしい声で歌いました。彼女の素朴で真っ直ぐな歌い方が、春の野に眠る赤ン坊を見守るような素直な愛おしさを自然に表現しています。

4曲目は「はるかぜ」です。「ああ、家が建つ家が建つ。僕の家ではないけれど」というリフレインが印象的なこの詩には、春風の中で着々と進む家作りの様子が軽快に描かれています。「鉋の音は春風に散って名残もとめず」、すべてがスピード感をもって進んでゆく。一方で詩人は「部屋にいるのは憂鬱で、出掛けるあてもみつからぬ」と、外の活気に急かされるような焦燥を感じています。この楽曲はアップビートでパワフルなポップロックをベースとして制作しました。パンチの効いたギターリフとドライビングなドラムが、家が建ってゆくスピード感と春風の勢いを表現しています。空流輝(ソラ リュウキ)が、この楽曲を明るく弾けるような歌声で歌いました。彼の若々しく元気な歌声は、春風のように爽快でありながら、一抹の切なさをも軽やかに歌い上げています。

5曲目は「春と恋人」です。横浜を舞台にしたとされるこの詩では、かつての恋人への回想が独特の比喩を交えて詠まれています。「美しい扉の親しさ」で始まる関係は、やがて「丘に建ってたオベリスク」のように仰ぎ見る存在となり、「真鍮の、盥のようであった」彼女の肩は、もはや近寄りがたいものに変わってしまいます。「以来私は木綿の夜曲? はでな処には行きたかない……」という結びには、手の届かなくなった恋人への諦念と、華やかな世界に対して及び腰になる詩人の姿が重なります。この楽曲はオルタナティブJ-POPをベースとして制作しました。独特のリズムパターンが、比喩に満ちた詩の世界観を音楽的に表現しています。一水鐘(イッスイ ショウ)が、この楽曲を繊細な歌声で歌いました。彼の透明感のある声は、華やかな過去への郷愁と、もう戻れないという諦めの感情を、確かな情感をもって歌い上げています。

6曲目は「春の消息」です。当初「生きているのは喜びなのか」と題されていたというこの詩は、この実存的な問いかけから始まります。明るい春の朝の街とは裏腹に、詩人は足を引き摺りながらその街中を歩き、自身の衰弱した様子を人生の儚さにまで敷衍して噛みしめ、どうにもできない宿命に対して自然に涙をこぼします。中也の詩の中でも、特に哀切極まる詩ではないかと思います。この楽曲はシリアスなドラマティックバラードをベースとして制作しました。静かなヴァースから力強いヴァースへと幾度となく移行するダイナミックな構成が、詩人の内面に渦巻く感情の起伏を表現しています。松戸モード(マツドモード)が、この楽曲を情感豊かな声で歌いました。彼の重みのある歌声は、生きることの意味を問う詩人の苦悩と、それでも涙を流しながら歩き続ける姿をドラマティックに歌い上げています。

7曲目は「また来ん春……」です。詩集『在りし日の歌』において、亡き長男文也の死を詠んだ作品として広く知られています。「春が来たって何になろ あの子が返って来るじゃない」と言ったあと、文也と行った五月の動物園を回想し、象や鳥、鹿を見た我が子の愛おしい姿をありありと表現します。そして、「ほんにおまえもあの時は 此の世の光のただ中に 立って眺めていたっけが……」と締めくくられた、この慟哭を耐えるようなくだりに、たとえ親でないとしても、否応なく胸を強く締めつけられます。この楽曲はメランコリックなインディーロックバラードをベースとして制作しました。「ほんにおまえもあの時は」からの展開は、詩人の慟哭をハードロックの激しさで表現しています。松戸モード(マツドモード)が、この楽曲を魂を込めた歌声で歌いました。彼の深みのある声は、序盤では愛おしい記憶を噛みしめるように静かに語り、終盤では抑えきれない慟哭を解き放つように、緩急巧みに歌い上げています。

アルバム最後の曲は「子守唄よ」です。「母親はひと晩じゅう、子守唄をうたう」と繰り返される詩句には、どうしても届けたい「誰か」への切実な思いが込められています。「暗い海を、船もいる夜の海を」越えて、その声は届くのだろうか――。「その声は、途中で消えはしないだろうか?」という問いかけは、もう二度と会えない者への祈りにも似て、この詩は、幼くして他界した愛息文也への、父中也による止むことない弔意とも読めるのです。この楽曲はダウンテンポエレクトロニカをベースとして制作しました。トリップホップの影響を受けた抑制されたビートと、幾層にも重なるシンセテクスチャーが、夜の海を越えようとする子守唄の幻想的な旅路を描き出しています。朧月華凛(オボロヅキ カリン)が、この楽曲を神秘的な歌声で歌いました。彼女の幻想的で表現豊かな声は、子守唄という本来穏やかであるはずのものに宿る深い哀切を、静かに、しかし揺るぎない意志を以て歌い上げています。

このアルバム「中也の春」の楽曲を通じ、聴く人すべての心に、中也の詩の心がしっかりと届くことを願うばかりです。

アーティスト情報

  • 松戸モード

ChicAudio Lab

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