曇天模様が上がったらのジャケット写真

歌詞

僕らは皆んな誰かの子

山口こうじ

東西南北も右も左も同じもんさ

沈む夕陽を眺めると涙が込み上げる様になってる

僕等は裸で産まれて何も持たずに死んで行くなら

命は愛を繋ぐ為に燃やしてるのだと信じたい

ずっと笑い合っていられる世界なら良いけどさ

悲しくて歯痒くて…

そんな時は思い出して この合言葉を

皆んな誰かの子供だった筈さ

生まれてきた事に感謝してるかい

生きてる限り愛し合って行こうぜ

産んでくれた母ちゃんの為にも

幸せにならなくちゃな

この星でこの国で生まれてきて良かったな

古の人も同じ事を繰り返してくれて僕等がいる

こんなおかしな事ばかり起きる時代だけれど

人の愛は消えないから

どんな時も忘れないで この合言葉を

皆んな誰かの子供だった筈さ

生まれてきた事に感謝しようぜ

生きてる限り愛し合って行こうぜ

産んでくれた母ちゃんの為にも

幸せにならなくちゃな

皆んな誰かの子供だった筈さ

生まれてきた事に感謝してるかい

生きてる限り愛し合って行こうぜ

産んでくれた母ちゃんの為にも

幸せになろうよ

幸せになろうよ

  • 作詞

    山口こうじ

  • 作曲

    山口こうじ

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前作に比べ新しい曲を中心に作られた全14曲入りフルアルバム。
人間山口こうじの経験に基づく男の人生、喜びと苦悩、悲哀、出会いと別れを表現した歌詞が多くの聴き手の共感を生んでいます

アーティスト情報

  • 山口こうじ

    北海道千歳市出身のシンガーソングライター、作曲、作詞家。 幼少期より父親の影響で歌謡曲、演歌を歌い始める。 小学校5年生で入院した時、 母親がくれたフォークソングのテープを毎日聴くことになる。 それを機に突然フォークソング少年になった。 小学校5年生からフォークギターを始め、代表的なフォークソングはほぼコピーしていた。 中学生の頃から60年代~70年代の洋楽に興味を持ち始め、 様々な ジャンルの音楽をコピーし始める。 特に The Beatles や Simon&Garfunkel、Eagles 等が好きで 毎日真似をして歌っていた。 作詞作曲を始めたのは高校時代から オリジナル曲を作り始めたこの時から札幌市や、札幌市近郊の ライブハウスやイベントなどに頻繁に出演し本格的にライブ活動を始める。 現在までに作った楽曲数は約300曲。 大学生時代からギター片手に全国を旅しながら様々な所で ライブを行うようになる。 大学卒業後、北海道のローカルラジオ番組のパーソナリティや テレビ CMへの出演、テレビCMへの楽曲制作、他アーティストへの 楽曲提供などを行うようになる。 現在、全国各地でライブを中心した音楽活動がメインとなる。

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