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私は十年程前、東京での音楽活動を止め、山形に移住をしました。
そして、一から仕事を探して、様々な巡りあわせにより介護の世界へ・・・。
結果、移住してから十年間、介護職として働いています。
この『兵隊おくり』という唄は、そんな介護の仕事する中で、生まれた曲です。
私はデイサービスで働き始めました。
デイサービスの一日は朝の送迎から始まります。
そこで出会ったある一人の老女。彼女は認知症を患っていました。
『認知症で最期に残る記憶は何なのか?』
そんな研究が行われたようです。
研究の結果、認知症により記憶を失っていく中で、最後に残るのは 『感情の記憶』
そして、その感情の記憶の中でも最期まで残る記憶は・・・
残念なことに『辛い・悲しい・悔しい・苦しい』、といった『ネガティブな記憶』なのだそうです。
認知症を患っている老女。朝迎えに行っても、朝ご飯を食べたのか、今日どこに行くのか、迎えに来たのが誰なのか・・・、分かりません。
それでも、職員がお迎えに行くと、どこに行くかも分かりませんが、笑顔で車に乗り込むのです。
車内では、その日の天気の話や車窓から見える風景の話など、彼女の記憶にとって差し障りのない会話が進んでいきます。
しかし、そんないつも通りの送迎の車内でのやり取りで、彼女がある場所を通るたびに必ず同じ話を繰り返すことに気が付きました。
それは、ある峠道を通ったとき・・・
『私は昔、ここに兵隊さんを見送りにきた・・・』
『この峠が私たちの小さな集落と隣の大きな町との境目で・・・』
『そして、私たちはこの峠まで兵隊さんを見送り、隣の大きな町の兵隊さんに受け渡したんだ』
彼女は、その峠を通るたびに、何度も何度も何度も・・・その話を繰り返すのです。
その他の多くの記憶を失い、人生の最期を迎えようとしている人が、最期まで記憶として抱いていたもの・・・。
私は、認知症の記憶に関する知識を積むにつれ、彼女にとってその記憶がどれほどのものだったのかを考えるようになりました。
そして、そんなデイサービスの送迎を繰り返していく内に、この唄は生まれたのです。
この唄を、人生の終末にあって、尚、悲しい記憶と向かい合わなければならない一人の女性と、それらの想いを受け止めながらも旅立っていた、尊い命に捧げたいと思います。
東京の南100kmに浮かぶ島『伊豆大島』。 シンガーソングライター宇山は、その島で生まれ育ち18年間を過ごす。 漁村生まれの環境下にあり、水産業の道を志し、大島の水産高校から静岡の水産大学へ。 しかし、その志の裏には、抑えきれない音楽への夢を抱いていた・・・。 大学卒業後、島へ戻るはずが、彼が向かったのは東京。夢見ていた音楽への道を目指す。 その後、松山千春・鈴木康博などアーティストのサポートギタリストとして活動をしながら、シンガーソングライターとしての活動も開始。作品の発表及び、全国各地精力的なライブを行う。 またエッセイストとしてもエッセイの執筆・出版などを手がけ、様々な分野に活動の幅を広げる。 現在、山形県飯豊町にて暮らし、介護職(ケアマネジャー)として働きながら音楽と子育ての日々・・・。
Camellia Records