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「Ruff 'em up」、「125th Street Knowledge」、「Power and&Money」は、Mbanja Ritchy がまだ B-Bandj として知られていた頃のオリジナル スタイルに戻ります。 「メッセージラップ」アルバムと表現する事も出来るでしょう。
どの曲も、Mbanja Ritchy自身の広い知識に溢れています。知識は、本、テレビのドキュメンタリー、友人との会話など、私たちの周りのいたるところにあります。
しかし、知識を持っていても、心と体と魂でそれを消化しないことには、何の役に立つのでしょう。
物事を暗記する前に、まず自分自身を知ること、いわゆる「正しい考え」や常識よりも自分の心に従うことが、最も大切です。
何が世界を形作っているのか?
誰が動きに影響を与えているのか?
私たちは広大な宇宙に住んでおり、学ぶべきことは常にありますが、ほとんどの場合、答えはその中にあります。
カメルーンとフランスの血筋を持ち、英語、フランス語、日本語を操るトリリンガルラッパー。 フランスの高校を卒業後に活動拠点ををフランスから日本に移す。 その後、大沢伸一がリーダーを務め、ジャズ楽曲を中心としたバンド、MONDO GROSSOのメンバーとしてMCを担当。93年にはアルバム「MONDO GROSSO」でメジャーデビューを果たし。セカンド「Born Free」リリース後にはバンドとしてヨーロッパ・ツアーを成功させるなど、世界的な評価を得る。 MONDO GROSSOの活動と並行しながら近藤等則やMonday満ちるの作品への参加、そしてソロ・アルバム「BREAKING BARRIERS(1996)」のリリースなど、ソロ活動の比重も高くなり、1996年にグループを脱退。 1990年代後半には「BEAT TRICKS」のメンバーだったDJ SUWA、「NAKID ARTZ」のMCMILI ドラマーのM.FUJITANI、と共に瘋癲(ふうてん)を結成。のちにM.FUJITANIと「Cool Struttin'」で活動していたギタリストGUROも参加して現在の瘋癲に至る。 また、ソロとなる2作のアルバム「Stad In The Light(1998)」、「Keep It Real(2004) 」、のリリースやDJ SHARKとのコラボレーションなど、ヒップホップへの傾斜を更に強めながら、様々なジャンルの要素を取り入れた彼のルーツがわかる作品に仕上がっている。 近年ではラップスター誕生で記憶に新しい、実の息子のJuaとのコラボでも多数の楽曲を発表している。 「B-BANDJ」のリリックとスキルは多くのミュージシャンに影響を与え、ヒップホップのみならずジャズやサントラなど様々なジャンルを超えて数々の客演参加を果たし、国境を越えて支持されている。
five Love Production