

Cooking(UDON) : Suzuka Saitoh
Piano : Hitomi Onochi
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友達...友達ってなんだろうね。
____昨日他の子と喋ってた時、
友達に悩みを相談したい時、友達の中でも「この子だったら言える」とか、
悪い意味ではなく選んで喋るようにしているよ、とその子が言ってて。
すごくわかるし、自分もそうしていたんだけど、
「ここはわかってくれるだろう」と「わかってくれないだろうな」が、
それぞれの相手に対して共存しているんだな、と改めて認識したのが新鮮だった。
わたしにもそれはある。
友達...? ともだち...?ってなんだろうね。
今、この町に住んでて、お世話になっている人たちのことを考えたら、
その関係だからこそ話せることも勿論あるけど、わかってもらえないこともいっぱいあるから。
ジェネレーションギャップとかも感じる。
相談すると解決策が返ってくる印象の人には解決策を求めていないときは話さなかったり、
リアクションだけほしいときだけ話す人がいたり...。
感覚的なことは同い年の子達に話しているかも。
自分のなかで話をする相手を選ぶこと、
自分にとっての相手の役割を分けることは全然悪いことだとは思わないし、
自分の断片を聞いてくれる人がいろんなかたちでいる、って感じ。
だちだねー。
___だちだねー。
その人とわたしにしかわからない話というか。
それを、きいて、はなせる関係をつくるのって難しい。
どちらもきいて、はなせる って、対等にいられることって結構難しいじゃない。
農業で関わる先輩のことを思うと、
農作業について、はなしをして、聞いて。ができることが彼らとともになる、という認識でいるし。
これは、同い年の子達とはまた違う感覚なんだけど。
あと、「私から気軽に電話できたら、友かな」とは思う。
あっちからも電話きたら、友かな とか。見えないラインみたいなのはある。
____確かに、電話は大きいね。
いろんな人との関わりを思い返した時、
年齢や性別、社会的な立場をおいといて、一人のひととして話せた時というか。何かを交換しあえたら、嬉しいなと思うんだけど、
それも結構難しいなと思う。
美大で学んできて、出会った友達、
なにもフィルターをかけることなく話してくれる友達がいることが自分にとって大切ではあるんだけど。
他の人に対しては、そこまで深いところで繋がれないことをいちいち指摘してまで、
自分の話したい話題から遠ざかるのはもったいないなあとも、と思って。
話半分の関係も大事だと思う。
____私も、フィルターなく話してくれる友達がいることにとても救われてきた。
取り組んでることが違くても、その中にある文脈で共感しあえたりとか。
「うまくできない、かたちにできない」ことがあっても、「今こういう状態なのかな」と相手のことを想像できたりとか。
なにかができてることがすごくて、できないとだめで、とずっと思っていたけどそうじゃなかった。
今までそういう繋がりは自分になかったりしたから、びっくりした。
そこの繋がりは一生大事にしたい感動だなと思うと同時に、
そればっかりを求めてても苦しい というのも、すごくわかる。
美大は、作品をきっかけに深いところにアクセスしやすい環境があるんだなと思うけど、
その環境はなかなか特殊だとも思っていて。
誰とでも深い関係を目指すために、頑張りすぎるのも違うかも。
人に向ける顔って全部違うっていうしね。
仕事で関わる人と、友達とで自分のバランスが取れてる。
二つの顔がそれぞれにあるのだとしたら、
常に均衡を保とうとする感覚はあるのかもしれない。
前に、こっち(十文字)のひととなかよくなろうとしすぎて
高校の友と疎遠になった。
あっち的には、見切りをつけていたみたいで。
でも、私としては離れていたとしても、繋がっている気でいた。
会うことが全てなのだとしたら。ちょっと違うな、と思ってる。
どっちかが近いから、どっちから遠ざかる みたいなことがしょうがないことだけどせつない。
それぞれの人生があるからこそ、連絡が疎遠になることって絶対あるじゃん。
ちも(小野地)含め同期のひとに対しては、
疎遠になってて、久しぶりに連絡をとって「忙しくてごめん」と断られたとしても
「もう誘えない」となるようなひとたちじゃない(認識が似ている?)と思ってる。
どれだけこの町の人と近くなったとしても、ものすごく友達も頼りにしている。
友達は「会わなきゃ繋がれない」と思っていたけど、
大学を卒業して、いざ物理的に離れてみたら、そんなこともないかなと思い始めた。
離れたら関係は自然と消えるものだとおもってたけど。
消えないことってあるんだな、って思った。
友達は、お互い生活はあるけど、心の片隅にいつもいるような存在だと思ってる。
自分の人生に関わってくれたから。
片隅って、、軽く聞こえるけど、外れたら欠けるし。
わたしのなかで必要な存在であることは確かだから。
わたしの感覚として、この土地のひとと仲良くなればなるほど
離れた友達との存在も大きくなる ような感覚。
でもお互いが会いたいと思った時に、会いにいくような私でもいたいとおもうな。
____均衡を取る、話で言えば。
「わかる」だけじゃなくて、「わかり合えない」ことをどう自分の中で落ち着けてやっていけるのかなみたいなことはずっと思っているかも...。
「自分にとって普通のことは、他人にとって必ずしもそうではない」みたいなことは、
どこまでフラットに捉えられるのだろうか?とか。
そのバランスは人と関わっていくうちにわかってくるだろうなと考えてた。
あと、友達よりさらに近い関係性の人だと、
「わかんないけど、わかろうとする」姿勢はより強く持たないといけないと思ったりもする。
距離のとりかたも、友達では問題ないところが関係性によっては不誠実に思えちゃうのが、不思議なところだと思う。
距離感の近さにより、希望、期待、感情がでかくなるのに合わせて、
「わからない」ことに対する踏みいれかたはまた強いものが必要になるなと思う。
友達って約束してならないじゃん。
恋人とかって、約束したからなる関係だよね。
だからちゃんと並走してほしい気持ちは自然と芽生えると思う。
友達は、「友達になったね」という約束がないからこそ、
他人らしい距離はあるよね、と思った。
____確かに。「友達になりましょう」ってないもんね。
だからこそ、話題も選べるし、
相手がとやかくいう筋合いもないから。っていう前提のもと自由に話せるのはあると思う。
大学の友達は、そんな距離感があるという前提も含めて、付き合ってくれてると感じる。
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結局はお互いの気遣いだよね。
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高校生の時とか、「わかってもらえない」ことに対しての悲しみがでかかった。
わかる。
_____別に否定されてるわけではないのに、
自分の感覚や考えてることが友人等とどこか通じないことに対して、当時はなんでわかってくれないんだろう?と、
分かり合えないことに対する絶望がすごく大きかった。
若いね。
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こんな料理したよ、とか、どうしよう!今とてつもなく髪を切りたい、とか。
信頼してる友達には言える。
でも、それを「だせる」「だせない」だけで測るのも、
なんでも言えるから、友達 っていうのは苦しい。
よくわからない状態や衝動を理解できるくらいの付き合いだけをいいものとして、
その自分を受け入れてもらえたら一人前の友達だ、ってなっちゃうとそれはそれで違うし。
この町では、居心地のいいわたしのありかたはどこなんだろう、を
ひとと交わりながら考えている感じ。
人との距離は一ヶ月二ヶ月で縮まるものじゃないと思ってるから、
来年の一月にどうなっているだろうか くらいの長い目で見てて。
来年またどういう会話ができるかな とか。
毎回、剪定が終わったあとの飲み会とかに参加しているんだけど。
果樹のようにゆっくり。
果樹も一年でゆっくりのびるし。
わたしも急がなくてもいいかなって。
ゆっくり見定めている感じ。
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2025.1.25
- Lyricist
Hitomi Onochi
- Composer
Hitomi Onochi
- Producer
Hitomi Onochi
- Piano
Hitomi Onochi

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