やわからな髪のスキャット2025 (feat. かおちー) [ボーカルバージョン]のジャケット写真

歌詞

やわからな髪のスキャット2025 (feat. かおちー) [ボーカルバージョン]

HOUTEN3

ふいに触わった 君の言葉

夜の奥底で 溶けてった

止まるみたい わたしだけが

君のリズムで

揺れる揺れる スキャット

眠れないまま 明けた朝に

君との夢が 残っていたの

「平気」 と 言っても

隠せないよ

頬を濡らした

想う強さ スキャット

ちぐはぐだって やさしかった

あの日の夜を 繰り返してる

壊れそうな わたしでいい

届くことない

音を紡ぐ スキャット

君の影へと

この手伸ばす スキャット

月が照らした 帰り道で

ひとりきりでも 歩けるのかな

君のあの声 今も遠くで

優しく響くのが聞こえる

言えなかった 「好き」 が残る

名前呼ぶたび

滲んでゆく スキャット

さよならのあと

ほどけてゆく スキャット

誰かのせいに しないでいたい

君を想う わたしのままで

時が経っても 変わらないの

今は 言えるよ

「ありがとうね」 って

少し笑って

君を想う スキャット

  • 作詞者

    かおちー

  • 作曲者

    HOUTEN3

  • プロデューサー

    HOUTEN3

  • アシスタントエンジニア

    かおちー

  • ボーカル

    かおちー

  • プログラミング

    HOUTEN3

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    やわからな髪のスキャット2025 (feat. かおちー) [ボーカルバージョン]

    HOUTEN3

アーティスト情報

  • HOUTEN3

    音楽をほとんど聴かない若者だった私が、音楽にめざめたのは、大学生時代に初めてKraftwerkを聴いたときでした。 すぐに、かれらの熱烈なファンとなった私でしたが、そのころはまだ、他人の創った音楽を聴くだけの普通の音楽ファンにすぎませんでした。私が、自ら音楽を創るという行動に向かいはじめたのはユニークな理由がありました。 音楽に目覚めはしたものの、ヘンコツ者の私にとって、聴く価値があるのは、Kraftwerkの音のみだったのです。「Kraftwerk以外のテクノは、すべてKraftwerkのマネにすぎない」。これが、私の音楽論でした。しかし、ご存知のように、彼らは1981年の「Computer World」以降、長い沈黙を保つようになりました。次作にあたる「Electric Cafe」のリリースは1986年。「TheMix」のリリースは1991年。10年間で、アルバム2枚。たいへんな寡作ぶりです。 シングル「Tour de France」(1983)は、日本ではリリースされず、私が初めてこの曲を聴いたのは、リリースされてから18年後です。 というわけで、音楽に目覚めたばかりの私は、かれらが新しいサウンドを提供してくれないのなら、自分で創り、自分で聴くしかない。というわけで、安い機材を買いそろえ、自分で音楽の勉強をし、「自分で作って自分だけが聴く=音楽の自給自足生活」と称する音楽生活が始まったのでした。 そんな私でしたが、2000年代、自分の才能の限界にぶちあたりました。私の目標は、テクノを作るのではなく、Kraftwerkがテクノを生み出したように、自分もそれまでになかった全く新しい「音楽のジャンル」を生み出すという大それたものだったのです。しかし、そんなことを成し遂げる才能など、自分にはないことを思い知らされたのです。 割り切った私は、方向を転換し、今度は思い切りKraftwerkのマネをする。すなわち、妙な拘りは捨てて、自分も「どテクノ」を作ることにしたのでした。その手始めとしてやったのが、「The Blend」と称するKraftwerkのトリビュート作品です。これは、1991年に、彼らが自分たちの過去作品リミックス(実際はリメイクですが)して作った「The Mix」にあやかったもので、コーヒーみたいに、Kraftwerkの楽曲を、いい感じでブレンドしたものです。当時は、まだvocaloidもなく、ヤマハがXG音源用にい開発した、「DTMに歌を歌わせる」ためのフォルマント・シンギング音源を駆使して、あのロボット・ボイスを再現しました。もちろん、著作権の問題があるシロモノですが、これは彼らの新作を待ち焦がれる熱烈なファンたちのために、「私が当面の代用品を提供します」そんなコンセプトによるものでした。このBlendシリーズは、 25曲あり、他にKraftwerkを題材としたオリジナルのトリビュート曲を20曲くらい作りました。 2003年の「Tour de France Sound Track 2003」以降、Kraftwerkは新作は出さないものの、勢力的にコンサート・ツアーをするようになりました。フラストレーションに呻いていたファンたちの耳の渇きはいやされるわけですが、このとき私は自分の役目(?)も終わったと考え、Kraftwerk Tribute路線に幕引きすることにしたのでした。 その後、仕事の都合で多忙な続くなか、私は音楽活動そのものから遠ざかることになりました。そんな私に、ひとつの影響を与えたアーティストが、中田ヤスタカさんでした。彼の音楽自体に診せられたというよりも、音楽クリエーターとしての、ポリシー、音楽観、ライフスタイルに大いに感化されたのでした。ある紹介番組で、「Dream Fighter」がオリコン1位になったときの話です。Perfumeの3人が曲を絶賛。アナウンサーが「では、中田さん本人の話を伺ってきました。」自分の作った曲を絶賛するperfume3人の映像を見た中田氏が放った一言は、「どんな曲だったっけ?」でした。 もう、私は唖然として、この人は化け物だ・・・・。と思わざるを得ませんでした。別の紹介番組で、中田氏がこれからの目標として語ったのは、「いつまでも、やりたいことだけをやってることが許される人でいたい」。なんとうらやましい人生・・・・。今の私の音楽創作スタイルは、こんな中田氏のことばに、大きく影響を受けています。 私の創作ポリシーは、「音楽なんてテキトーに創りゃいい」なのです。 o

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