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非暴力は人に与えられた最大の武器である
一人になろうとも全世界に立ち向かいなさい
マハトマ・ガンディー
1.天安門事件と「戦車男」
1989年、中国天安門広場。
民主化を求めて集まった約10万もの学生や市民。
その非武装の人々に対し、
中国政府は兵士と戦車を投入。
武力による弾圧の動きから衝突が始まり
無差別発砲など事態はエスカレートし、
ついには戦車が市民をなぎ倒し轢き殺して進む
凄惨な光景が繰り広げられました。
当時まだ20代だった僕は
同世代の若者たちが血を流し倒れ行く姿をTVで観て、
悲しみとやるせなさと憤り、そして
何もできず画面を観ているだけの自分への無力感で
心の底から打ちのめされました。
そんなとき、翌日の報道で流された一人の青年の姿に
僕は釘付けになりました。
のちに「戦車男」と呼ばれる青年です。
学生たちによる民主化運動を鎮圧しようと
天安門広場にやって来た人民解放軍の戦車の前に
どこからともなく現れた一人の名もなき青年。
両手に大きな紙袋を持った
ワイシャツ姿の華奢な体つきの青年は
戦車の前に立ちはだかり、行く手を塞ぐ。
戦車は一旦止まり方向を変える。
すると青年はまたその前へ。
それを何度か繰り返した後、
青年は戦車の上に飛び乗り、
操縦席を覗き込み何やら話しかける。
そして戦車から飛び降りた時、戦車は急発進。
しかし青年はその前に再び立ちはだかる。
そしてしばらくすると、
何人かの市民らしき人たちが、
青年を抱えるように歩道に連れて行きます。
そこで映像は終わります。
「戦車男」はその後行方は知れず、
捕らえられ獄中で亡くなったとも言われています。
2.「戦車男」が遺したもの
彼の姿は僕の目に焼き付きました。
彼の想いと勇気に心動かされ、心に残りました。
同時に、世界を変えようと天安門に集まった
民衆の想いや勇気もまた、いとも簡単に
暴力によって踏みにじられてしまったことの
儚さと虚しさに、心が締め付けられました。
そして、彼の姿を曲にしたいと思いました。
副題に #JohnLennon の名を追記しました。
Johnの言葉も織り込みました。
しかし僕が書きたかったのは
“偉人”としてのJohnではありません。
暴力を否定しながら権力に対峙(たいじ)し
勇気を持って抗(あらが)った象徴として
JOHNを挙げたに過ぎません。
Johnのように
たくさんのメッセージを残したわけでも
歴史に残る作品を残したわけでもないが、
「戦車男」のように
ただ勇気を持って声を上げ、行動を起こし
そして消えていった名もなき無数のいのち。
そのいのちの意味は何だったのだろう?
それがこの曲のテーマでした。
3.世界は変わらず、歴史は繰り返される
天安門事件は、戦後中国国内で学生や市民が
政府に反旗を翻した最大のアクションでした。
しかしそれさえも
数千人以上もの命が奪われる悲劇として
終わってしまいました。
あれから30年。
人も世界も何も変わっていません。
遡れば、
非暴力によって世界を良く変えたいと願った
Johnもガンジーもキング牧師も
暴力によってそのいのちを奪われました。
最近でも、
香港の人々の「民主主義を守りたい」想いは
権力者の武力と抑圧的な法律によって打ち砕かれました。
香港の民主主義メディア、リンゴ日報は、
中国による弾圧に抵抗し、
民主主義と言論の自由を守るために刊行を続けましたが、
中国当局による資産凍結などによって
廃刊に追い込まれました。
ミャンマーでは多くの市民が
軍部によるクーデターに抗議し、デモで声を上げました。
しかし、19歳の女子学生を始め
700人以上の市民が虐殺されています。
暴力が非暴力を踏みにじることは
世界各国で起こっています。
極端であからさまではないものの
日本も決して例外ではありません。
「民主主義」を標榜しながらも
権力者は、自分たちに都合の良いように
人々を誘導し利用できる法律をつくり、
自分たちの権力を維持できるように
大企業や富裕層には金をばら撒き、
権力も金も持たない貧しい人々は
切り捨てられる社会構造ができています。
権力者に対して声をあげることが憚られ、
否定され、非難される風潮すらあります。
以前、多くの学生たちがSEALsとして
日本がアメリカの戦争に加担する法律に対し
反対の声を上げた時も
ネットで一斉にバッシングを浴びました。
「暴力集団と繋がってる」などとレッテル貼りされ、
勇気を出して国会前でスピーチした女性が
「反日売国奴」「首を吊って死ね」
「金をもらって反政府運動している」
「レイプしたい」「女は政治に口を出すな」
など罵詈雑言を浴びせられ、PTSDに追い込まれた例も。
ネットを見回せば、差別やヘイトはまかり通り
力の強い人たちとそれに従う人たちが
権力を批判する人を言葉の暴力で押さえつける風潮は、
武力や暴力で人を支配する構図と
何ら変わりありません。
4.”Someday our world will be as one !”
「戦車男」はたった一人、体ひとつで戦車を止めました。
でも戦車は止まらず、「戦車男」も行方知れずになりました。
ベトナム反戦運動が盛んだった頃
Johnは反戦運動のシンボル的な存在で
多くのデモや集会にも参加していました。
しかしそうした人々の動きを
力ずくで抑えようとする警察に対し
人々が「kill the pigs!(警官を殺せ)」
と叫んだ時
Johnは「kiss the pigs!(警官にキスを)」
と声をかけました。
「暴力ではなく愛で世界を変えよう」
という想いからです。
しかし、そう言うJohnを
「甘い」と非難する人も少なくありませんでした。
彼自身のいのちも暴力によって奪われてしまいました。
でも彼らのいのちは、決して無駄にはなっていません。
彼らの想いは私たちへと受け継がれているのですから。
僕も「戦車男」に勇気づけられ
その想いを胸に生きてきたのだと思っています。
例え結果的に、生きている間に
現実が何ひとつ変わらなかったとしてもいつの日か、
人々が愛し合い支え合える世界が訪れるにちがいない
その夢や願いは、彼らのいのちから周りの人々へと
繋がっているのです。
非暴力の誓いは決して死に絶えることはありません。
「戦車男」もJohnも、
勇気をもって立ち上がり
命を奪われてしまった無数の人々も、
みんな偉人でもヒーローでもありません。
どこにでもいる「誰か」なのです。
もしも一人ひとりのいのちに、
生きる上での「役割」があるのだとしたら、
彼らのいのちは
「想いを繋げてゆく」役割だったのでしょう。
そして私たち誰もが「戦車男」になりうる
そういう存在なのかもしれません。
自分自身も「戦車男」でありたいと思い、
「戦車男」の仲間が
少しでも増えることを願います。
この夢や願いが
次の世代へと繋がってゆくことを信じて。