モア・ミリー、マイ・ボーイ・ロリポップのジャケット写真

モア・ミリー、マイ・ボーイ・ロリポップ

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64年英米チャート2位を記録した「マイ・ボーイ・ロリポップ」。その勢いは世界に飛び火。ジャマイカ産スカ・ビートに乗ったキュートな歌声。

64年英米ヒット・チャート2位を記録した「マイ・ボーイ・ロリポップ」。その勢いは世界に飛び火。日本でもシングル盤が発売され昭和の洋楽を代表する1曲となる。。
本名ミリセント・ドリー・メイ・スモール(Millicent Dolly May Small)、
ミリー・スモールはプロデューサー、コクソン・ドッドのスタジオ・ワン(Studio One)でロイ・パントンと共にレコーディング・キャリアを10代で始め、数枚のシングルを地元で出すことになる。
1963年の暮れスモールは4作目で、アメリカ人シンガーのバービー・ゲイの持ち歌「マイ・ボーイ・ロリポップ」をカヴァーすることに。アーネスト・ラングリンがアレンジしたこの曲に可能性を感じた男がいた。
クリス・ブラックウェル(アイランド・レコード創業者)だ。
この曲の権利を得た彼はフィリップス傘下のフォンタナ (Fontana) とライセンス契約。
世界中で大ヒットし、彼はミリーの面倒を見ることに。
名声と共に大金を手にした彼はアイランド・レコードの基盤をこの1曲で作ることになる。その後の成功物語は皆さんの知っている通り。
ジャマイカ生まれのジャマイカ育ち、ミリーも音楽で成功を望むアーティストの一人。
星の数ほどいるジャマイカ音楽シーンでボブ・マーレー前に欧米でこれほど成功したアーティストはいなかった。
空前のヒットがクリスを変えていく。
スカ・ビートに乗ったキュートな歌声。さぁ聴いてみよう。魔力を持ったこの歌を。

アーティスト情報

オールデイズ・レコード