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若さを手放した日。
過剰な承認欲求や自己顕示欲から解放されると同時に、表現することへの初期衝動も無くなりました。もちろんまだまだ未熟な人間ではありますが、肩の荷が降りるとはこのことだと感じました。
何かきっかけがあったわけではなく、これまでの音楽表現を通じて、承認欲求や自己顕示欲が消費されていったのだと思います。
若さとは、熱中できること。
若さとは、身の丈に合わない名声を求めてもがくこと。
若さとは、不満をぶちまけること。
若さとは、失ってから存在を痛感するもの。
失って初めて、その輪郭を掴めるものでした。とても楽しかったし、美しかった。
若さを失った私が最初に直面したのは、空っぽな心でした。何もない、何も欲しくない。そんな気持ちは初めてでした。
でも、だんだん、それでいいような気もしてきました。ずっと衝動に突き動かされ続けるのは疲れるものです。
じゃあ、突き動かしてくれるものがない私は、どんな音楽を作れるんだろう。
私はプロの音楽家ではないから、別に誰にも求められていない。だからもうやめたっていい。なのに、この曲が浮かんできました。
「この世の果てに来たみたいだ」と。
音楽にして表現したい事がなくなったのに、やっぱりフレーズが浮かんでくる。
何もなくなった空っぽな心なのに。
これからは、今までのように溜まっていたパワーを放出するような音楽のやり方ではなく、「今私が音楽にするべきもの」を描けばいい。
そんな風に思い至った経緯をこの曲に収めました。
一度心と頭をリセットしたいとき、漠然と心細くなったとき、この曲が「もう何も必要ない」と語りかけてくれるはずです。そして、「まだまだ終わってはいない」と、もう一度その心を燃やしてくれるでしょう。
ちょっと浮世離れした場所で、ひっそり休みたいなぁ...ってときありませんか? 私の作品は、そのために作った、架空の居場所のようなものです。 音楽や映像なら、ただ観たり聴いたりするだけでいい。その中で誰かと顔を合わせることもない。 一人でも、一人じゃなくても、どこにいても、片手間でも、短時間で、現実からちょっと離れられる。そして戻って来られる。 架空の居場所にぴったりです。 持て余した感情や事情を手放して、ぼーっと観て聴くだけでいい。作品たちが、その重荷をちょっと肩代わりします。そして、記憶の中で小さなお守りみたいに機能してくれるでしょう。