※ 試聴は反映までに時間がかかる場合があります。
※ 著作権管理事業者等が管理する楽曲は試聴できません。
今日は、天尊光凛です。
2012年2月からDTMで作詞作曲を始め、日々精進を重ね9年の潜伏期間を経て2021年2月より配信を始めました。
作詞、作曲、ボーカル、コーラス、編曲、エンジニアリング、ミックスダウン、プロデュースをすべて1人で行っておりますので純度100%のDTMerといったところでしょうか?
ジャンルをクロスオーバーと表記したのは、自らの感性を音楽として表現するにあたり、ジャンルにとらわれることなく、あらゆるジャンルの手法を融合することにより、新しく、画期的なスタイルの音楽が生まれ落ちる事を目的としているからです。
絵画に関しても同じく、画家としての私は、抽象と具象、西洋と東洋、静寂と激動など対峙する概念を融合することにより、自らの感性宇宙(曼荼羅)を作品として具現化する事を目的としていました。
10年程前まで私は、油彩、アクリルを中心としたミクストメディアで絵を描き、サロン・ド・メに2回、サロン・ド-トンヌに3回出品したキレキレのアマチュア画家でした。
従って、ジャケット画像はペイント3Dで自ら描いています。たまに、自らが撮った写真を使うこともあります。
ご存じ、利休は、織田信長・豊臣秀吉と絶対権力者に仕え、茶の湯の第一人者となりました。
大坂城を訪れた大友宗麟に秀吉の弟・豊臣秀長が「内々の儀は宗易(利休)に、公のことは私に」と言った程、豊臣政権での存在は大きなものとなっていました。
しかし、秀長の死から一ヶ月もしないうちに、秀吉から利休へ「堺で謹慎せよ」との命が下り、その後すぐに京都に護送され、切腹を命じられて生涯を終えてしまうのです。
享年70。
死後は「一条戻橋」で首をさらされたといいます。
その横には罪状
「大徳寺の山門に自分の木像を作らせ、秀吉を含めた他の人を侮辱した」
「茶器の売買で不当な利益を得ていた」
を記した高札が立てられていたそうです。
惨いですね。
しかし切腹理由の真相は未だにわかっておらず、多数の説が出ています。
「絶対権力者に仕え、名声を得たにもかかわらず、その絶対権力者に武士でもない茶人が切腹させられた無念さはいかなるものか?」と考えていると、当楽曲のイメージが頭の中に浮かんで創作に至りました。
「利休レクイエム」と言ったところでしょうか?
楽曲「利休」は、2020年8月に創作され、2021年3月27日から1年間配信されていた楽曲です。
仕上がりに疑問点があり3年程お蔵入りしていましたが、今回、REMAKEREMODELして再配信します。
宜しく御愛聴下さい。
今日は、天尊光凛です。 2012年2月からDTMで作詞作曲を始め、日々精進を重ね9年の潜伏期間を経て2021年2月より配信を始めました。 作詞、作曲、ボーカル、コーラス、編曲、エンジニアリング、ミックスダウン、プロデュースをすべて1人で行っておりますので純度100%のDTMerといったところでしょうか? ジャンルをクロスオーバーと表記したのは、自らの感性を音楽として表現するにあたり、ジャンルにとらわれることなく、あらゆるジャンルの手法を融合することにより、新しく、画期的なスタイルの音楽が生まれ落ちる事を目的としているからです。 絵画に関しても同じく、画家としての私は、抽象と具象、西洋と東洋、静寂と激動など対峙する概念を融合することにより、自らの感性宇宙(曼荼羅)を作品として具現化する事を目的としていました。 10年程前まで私は、油彩、アクリルを中心としたミクストメディアで絵を描き、サロン・ド・メに2回、サロン・ド-トンヌに3回出品したキレキレのアマチュア画家でした。 従って、ジャケット画像はペイント3Dで自ら描いています。たまに、自らが撮った写真を使うこともあります。