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εὐδαιμονία

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こんにちは。マドレーヌの書斎です。
前回のピロピロピロQQQを作ってから、私はあの曲を超える曲が作れないと思っていました。そのためしばらく曲を作ることができませんでした。
今回はその気持ちを乗り越えて制作することに成功しました。

 また、今年の文化祭で初のファーストアルバムCDを制作して売りたいと考えているため、私と同じ大学の人は楽しみにしていて欲しいです。まあ一番楽しみにしているのは私なんですけどね。
全部の芸術家がそうです。告知をしている時に一番楽しみにしているのは芸術家本人です。それをカッコつけて隠して、さもリスナーのためですよ感を出しているのは流石に大人げないと私は思います。芸術家は全員、手淫芸術家です。

 では本題に入ります。

 エウダイモニアとはギリシア哲学における「人間にとって最高の善」や「本当の幸福」、「完成された生き方」を意味する言葉です。今回の曲のタイトルは古代ギリシア文字でエウダイモニアと書かせていただきました。

 私は、現代においてそれをどのように捉えるかというのは、社会の複雑さや価値観はもちろん個々人の価値観の多様性の中でより深く考える必要があると考えたため、この曲を作りました。

 さて、人間にとって本当の幸福とはなんでしょうか。
私は消費的幸福ではないと考えています。(本当の幸福については言及しません。下記参照)
現代社会では快楽的で消費的な満足が幸福であると間違えがちです。例えば、欲しいものを買うこと、性的な発散をすること、SNSでいいねをもらうこと、推しのライブに行くことなど。
でもこれらは刹那的であり、時間と共に消えていく快楽にすぎません。

 今回の曲ではその幸福哲学が根本にある人たちを、様々な面で(幸福哲学に限らずに(主に執着に対して))ただひたすら批判してバカにするというお気楽で天才的で無意味で面白いことをしました。

 批判というのは快楽です。
私が批判する人を批判し、それをまた誰かが批判するように、邪・傲慢市民が外的執着によって不幸せなおままごとをしているのです。

 この曲はタイトルをエウダイモニアとしておきながら本当の幸福を提唱しているわけではないのです。ではなぜこのような無意味な歌詞にしたのでしょうか。

 それは、消費的幸福を批判している時点で批判による快楽つまり自分も消費的幸福を求めているのではないかという皮肉を表現したかったからです。

 しかも、この動画は曲です。
曲をリリースすることの何が消費的幸福ではないと言えるのでしょうか。

 よって、この曲で本当の幸福を提唱しようものならそれは完全に「偽善」です。

 私はそれが嫌だったのでこの皮肉汁たっぷりの曲を作りました。

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