saigonotokimeki Front Cover

Lyric

saigonotokimeki

Erica

数えたことなどないけれど

いくつもの偽り

悔やんでないのは嘘つきで

そのたび振り返る

虚ろなときめき

本気で愛したなら

あなたはいつの日か

背中をむける時がくる

だけどこれが最初で最後のときめき

終わりを知れる愛があるなら

あなたに賭ける

強がりばかりの昨日には

さよならするつもり

何度も季節を見送れば

大人になるものよ

あなたがこわいの

本気で愛したから

ためらう思いなら

諦めれば終わるのに

だけどこれが最初で最後のときめき

終わりを知れる愛があるなら

あなたに賭ける

そうよこれが最初で最後のときめき

終わりを知れる愛があるなら

あなたに賭ける

だけどこれが最初で最後のときめき

終わりを知れる愛があるなら

あなたに賭ける

  • Lyricist

    YASUSHI SUZUKI

  • Composer

    YASUSHI SUZUKI

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    Erica

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Artist Profile

  • Erica

    メンバー:鈴木康志(Vocal・Acoustic Guitar)・高橋佳生(Vocal・Acoustic Guitar) 1985年 アポロン音楽工房からデビューした”SCREEN”の改名前のユニット <Story of Erica> はじまりは、1971年、鈴木康志、高橋佳生が中学三年生の時。 小学生の時にすでに身長が170cmあった鈴木は、スポーツ万能で運動部から引く手数多。当時は野球に熱中しておりスポーツ選手を夢見ていたが、ある時、全校集会で高橋がギターを弾きながら歌う姿に衝撃を受け、すぐに高橋のクラスを訪ね、ギターを教えてくれと直談判。が、この時高橋は「君には向かないと思う」と断り、鈴木は別の同級生に3つのコードを教えてもらい、独学でギターを始めて音楽にのめり込んでいくこととなる。 高校生となり一緒に音楽をやるようになった二人は、友人宅に集まり、当時流行していたフォークソングをコピーし、学園祭廻りをして飛び入りで歌ったりしていた。 そして、オリジナル曲を作り始めた鈴木はプロを目指すようになった。当時は自分が歌うことは考えていなかった為、高橋に一緒にユニットを組んでやろうと誘うが一旦は断られた。が、受験に失敗した高橋を口説き落とし、エリカがスタートすることとなった。 「エリカ」というユニット名の由来は、南アフリカ原産の花の名前から。命名理由は、何処にでもある花では無いこと。 『オリジナル曲を作るまではアリスに対してのリスペクトも強かったので、語感が似てることもあったのかも知れない。』(高橋佳生 談)  高校卒業後、鈴木がアルバイトをしていた埼玉県志木市のレストラン「anan」で定期的にライブをやるようになり、川越市にあったライブハウス「Page One」でも次第に人気となり、連日客席はいっぱいだった。その後、池袋の西武百貨店にあった「City」というライブスペースもホームグラウンドの一つとしながら活動の場を広げていった。 「Page One」は、エンターテイメント情報誌の走りであった「ぴあ」の創刊号から埼玉県で唯一名前を掲載されていたライブハウスであり、当時そこからプロデビューを果たしたアーティストもいて、エリカもそこで日々切磋琢磨していた。 元々、いわゆる「フォークデュオ」であったエリカが、その曲調や演奏内容を革新したのはまさにこの時期で、Page Oneに出入りする多くのミュージシャンからの影響や、多様な作曲方法や演奏方法を見聞きするうちに、ジャンルも超え、様々な音楽を自分たちのものとして消化し、エリカの音楽性も変化していった。 この頃にジャズやソウルといったジャンルの音楽要素をフォークギター2本の演奏に取り入れたことにより、エリカの音楽スタイルが完成されていった。 (以下、エリカ時代を知るMusician 山内和義 談) 『いわゆるテンションコード(音楽の和音構成音において9th、11th、13thといったジャズの要素の入ったコード)をPage One で出会ったジャズギタリストに初めて教わった、とヤスさん(鈴木)から聞いた。 エリカの音楽は、もう従来のフォークというジャンルではなく、アコースティックギター2本で小気味良い16ビートのカッティングでグルーヴする、その当時にあっては全く新しいサウンドだった。 今でこそアコースティックギターでリズミカルなパフォーマンスをするアーティストは沢山いるが、フォークに少しロックの要素が入って、やっとニューミュージックと言われ出したばかりの当時のミュージックシーンにおいては、エリカというデュオは衝撃的な存在だった。 初期のエリカは、作詞作曲がヤスさん、歌うのは佳生さん、というスタイルだったが、ある時からヤスさんもメインボーカルを取るようになり、佳生さんのクリスタルボイス&ギターカッティングとヤスさんの石炭ボイス&アグレッシブなギターとソロで見せるテクニック、というスタイルが確立していった。 また、ハモっていたヤスさんがいつのまにかメインボーカルに、佳生さんがハモりに回ってまたいつのまにかメインボーカルに、といった曲作りやアレンジもエリカの魅力の一つだったと思う。 Page Oneでのライブはいつもたくさんのファンで満席だった。ライブは楽曲や歌、ギターの素晴らしさはもとより、二人の軽妙なトークも楽しく、客席は笑顔であふれていた。満席で店内に入れずに外で漏れ聞こえる音を聴いているファンもいたくらい、いつも人気のエリカのライブだった。』 その後、活躍の場を都内にも広げ、新宿ルイードや四谷コタンでも最高動員数を記録した。 (四谷コタンの初代オーナーの著書「ライブ夢空間」にも、”コタンを満席にした男性フォークデュオ”としてエリカの名が綴られている。) また当時は、ライブハウスでの活躍の一方、ヤマハポピュラーソングコンテスト等のコンテストにも多数出場して好成績を残していた。 そして、このころにはレーベルから声がかかるようになり、ビクター→クラウン→東芝EMIの各社でデビューへの足がかりとなるような関係になりながらも、なかなかデビューにこぎ着けることができずにいたが、1985年に“SCREEN”へ改名、アポロン音楽工房(ALTY Record)よりデビューすることになり、SCREENとしての活動へとつながっていった。

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