Taira Front Cover

Lyric

Taira

Hitomi Onochi

「 All about you, not about me 」

Songwriting / Vocal : Taira Kurosaki

Piano / Rap :Hitomi Onochi

なんか、「も」の話したじゃん。この前。

ちもす(小野地)が、「も」といると120%の自分になれる、って言ってたのが残ってて。

たぶんちもすの「も」とは俺は違うんだけど、似たような感覚があって。

んー、やっぱり違うかもしれないけどさ...。

想像しうる、一番美しい景色を頭に浮かべて欲しいんだけど。

絶景ぶわー広がってて、そこにひとり自分がいる。

寒くも暑くもなくて、ひたすら綺麗な光景、があるときに

自分の全神経はそっちに持ってかれてるから、純粋にその光景を受け取れる。

そういう時、誰かとなにかを比べたり、「おれってうんこだなー」とかって多分思わないじゃん。

そんな状態に自分がなれたら、いいやつだな、120%だなって思うんだよね。

____自分のことが、ってこと?

そう。俺が誰かのことを大事にするって、そういうことだなって思うんですよ。

_____なにか比べたりではなく、

その人の幸せを「ああ、よかったね」って喜べるってことでしょうか。

うんうん。

もうなんか、圧倒されちゃってるみたいな。そいつの存在に。

俺がそいつにどう思われるとか、俺がその人を充分に大事にできているか?とか。そういうことを考えるレベルじゃなくて。

もう、ただ、すき。「かわいいかたちだ〜」と愛でるみたいな。

ううーん。きもいんだけど、そうなれたら最強だなあ。その時の俺って120%だな、って思う。

それをシンプルに歌えたらなあっていう気持ちで、願いをこめて、

「It’s all about you, but not all about me 」って、歌えたらおもろいなあと思って。

ちもすと一緒にやりたい歌をもってきたよ。

____そういう感覚って誰かに対して持てたことはあるんですか?

わたしはまだないなあ、って思っちゃって。まだ道のりは長いなあって思う。

たしかに。究極的には、そうね。

例えばトマトに対して、そう思ってください、って言われても難しい…、

いや。なれる人もいるんだろうけど。

トマトの表面のつやの物理法則はなんなのか、みたいなことを探求したい人も世界にはいるっぽいじゃん。

りおなっちとか、目の前のものから宇宙まで行っちゃうし。

そういう形で、自分との関係を一旦置いておいて、

「これってなんなんだ?」と対象に没頭することはできると思うんだけど。

...多分それって、対象自身が、凄みをもってればもってるほどそういう風に自分も興味を持てるじゃん。

凄みを俺が見つけられれば見つけられるほど、そのものの虜になっていくというか。

俺の場合は、誰かに対して優しくなれなかったりとか、自分のことばっかり考えてる時は、

そもそも対象のことを見ようともしていない、って状態なのかなと捉えてる。

自分がそうなってる時って、その人の深みや良さを全然わかってなかったりする。

でも、最初はわからないとしても、自分のスタンスを選択することから、相手のことを知ることは可能だと思う。

「俺は今、この人の話を聞こう」とか。

その選択を重ねることで、相手の中の宇宙を知っていけるのかなって思う。

そのひとの存在を純粋に喜べるのって、

自分がまず相対したものに対しての行動を選択することから始まるのかなあって。

人じゃなくても、なんだっていいんだろうけど。

山見て、なんも感じなくても、

登ってみたらめっちゃ綺麗で、空気が綺麗だったり、いろんな生き物がいることに気づけたりとか。

それにうわーって圧倒されていくみたいな。

目の前の人とか状況を、自分自身がすごく大事に見ようとする選択は、

己からできるんじゃない、って思う。

・・・

・・

ちもす的には、ここ数年、音楽を通して色々広く考えることができて、よかったんだろうね。

音楽の深さとか、凄さ、おもしろさを、ちもすなりに見つけてきたんだろうね。

どうなの?

____どうなんでしょうね。

いつも話しているけど、

美大に来てから「なんで音楽が好きなのかな」ってすごく考えるようになった。

探って探って考えてたら、別に音楽じゃなくてもいいのかも、ってとこに落ち着いてきたタイミングがあって。

そこに着地したのは、表現することに触れる上で「音楽だけ」の世界に単純に篭りたくないような気持ちもあったけど、

自分から新しいものを作ることができないとか、対した技術もないしなあ。という思いから出た、

半分逃げみたいな感じもあった。

卒制も、こういうかたちにするって決めた時、

音楽、録音したことないしな。上手に、きれいにできないしなあ...と色々考えたりとかした。

マイナスな考えが先立ってしまって、曲をつくるのはハードルがむちゃむちゃ高かったけど、

一緒に音源のかたちをつくってくれる相手が、この作品のなかには絶対にいて。

そうなると、自分の中で勝手にあげていたハードルがどんどん下がっていった。

ある人とのセッションの時間だと、自分のなかからメロディーがポンポン出てきたんです。本当にびっくりした。

「自分はこうだ」って言い切れることって全然ないけど。

でも、ないからこそ。人のおかげで今、自分があるなあ、って改めて思った。

いろんな人との時間を経て、今やれることをもう一回だいじにしよう、って思いました。

なるほどね。

____ちょっと自分が一皮剥けた感ある。

これでいいんだ、みたいな?自分の立ち位置がわかったんだ。

____結局自分は人にたよってばっかりだなあ、とか。

人を利用してるんじゃないか?ともすごく思ったけど。

私がやりたかったこととか言いたいことを、協働した人がそれぞれ汲みとってくれて、嬉しかった。

講評を受けた時も、今自分が形にできたものだけじゃなくて。

人との関係性をつくる時間も含めて、この表現になったんだねと言ってもらえた。

これまで大事にしてきたことを、他人に伝わる形で表現することができたんだ、と思ったら

ちょっと、ちもす。やるやんー。と思いました。

そっか...!

こないださ、インスタを見ててめちゃめちゃ面白かったのがさ、

ドラムの全部のセットがないんだけど、一人がハイハットをたたいて。一人がスネア、もう一人がバスドラを叩いてドラムのリズムを成り立たせてる動画が流れてきた。

多分3人とも音楽が好きで、なんかやりたかったんだろうね。

完璧なドラムセットはその場に存在してなくて。

でも、「なんかかたちにしたい」という思いを形にできてた。

「なんかあるものでやっちゃう」ってすごくナチュラルだし、超クリエイティブだよね。

そこにしかない表現というか。

俺も環境をすごく整えたくなっちゃうんだけど。

技術も、機材も環境だし、そういうのが揃ってないと音楽はできないと思っちゃうけど。

「たまたま今できること」って、やっぱりいいよね。

そうだ。それこそ、「あるものを大事にする」ってはなしに戻ってくると思ってて。

いまないもの、できないもの、じゃなくて。

いまあるものを大事にする能力の方がすごい大事だなと思ってて。

それが優しさにつながると思ってる。

俺の山の師匠、

まじであるものなんでもつかうんだ。それが俺にとっての学びというか。

自然と関わっていくとき、どうしても、ないものはないの。

理想的には、自分の思った通りに山が綺麗になって欲しいし、まっすぐ杉が伸びて欲しいのに。

風が吹いて木の枝が折れちゃったりする。

でも、その状況と一緒に生きていくというか。

折れた木を、どうやって生かしていくか?とか。そういう姿勢がすごくポジティブだなと思ってる。

この前、山の上に小屋ができて、そこに水が必要になったときに。

軽トラにブルーシート敷いて水をそのまま溜めて持っていったの。

んで、山の水槽みたいなのにうつすんだけど、

移す先も、だれかからもらった風呂釜みたいなもの。

水を移すのも、掃除機のホース。

そういうのを見てて、

自分より、はるかにこの人の方が与えられてるもの、今あるものを大事にしてるなって思った。

これって、すごく優しさだなと思ってて。

見栄えの悪いものを、自分は「こんなもの」って捨てたくなったり、自分の目に映らないようにしたくなったりするけど、

それをどうやって生かすか?と考えるのって、すげー優しいなって思って。

自分にとって都合が悪いことも、勇気を持って受け入れる力とか。

そこには忍耐力とかが必要になるじゃん。

それを僕は養っていくことができたらいいなと思ってる。

環境を変えることよりも、

今見栄えがわるいものも含めて、あるものを最大限喜ぶというか…受け入れる?

むしろ味方にする、使う、ができたらいいな。

それができた事実として、

秋田はいぶりがっことか、きりたんぽとか。めっちゃいいものいっぱいあるんだろうな。

あるもん生かしてなんとか生きていった結果、その結晶というか。

____うん。

だから、いぶりがっこなんですよ。これ(ちもす作品)。

____えーーー。 50年やったらいぶりがっこかもしれない。。。。

そうよ。ほんとそう。

____今あるものとか、できることを大事にすること、

どうなったら本当にそうなれるんだろうか。なりたいなと思って試行錯誤したり、生きていくうちにそうなれるのかな。

それがむりかも、できなさそうだ、って言えることも大事かもね。

____うん。

きもいもんね。やれてたらみんなやってるもんね。。。。

・・・

・・・・・

_____作品制作の方針が決まらなすぎて、

「どうしよう」ってなってた時、作家さんの先輩に今考えてることを羅列した文章を読んでもらいながら、相談をした時があって。

その人は、色々私の思いを聞いてくれた上で、

まずやりたいことをやってみるとか、体が動いた先に理由が見えてくるんじゃない?と教えてくれた。

どうしても頭でっかちになって色々考えちゃうけど、

その考えを「この素材ならうまく置き換えられる!」と思ってかたちにしたとして、

それがうまく他者に伝わらなかった時、その原因を素材のせいにできちゃうよね。と言ってくれたりして。

作って、人前に晒して、会話が生まれて、それを受けてまた作って、、またみせて、、、の繰り返しだから、まずつくってみな?と背中を押してくれた。

完成形じゃなくてもいいってことね。ちもも色々あったんだなあ。

___卒制の最終講評で、この作品は、音楽について、趣味にするか仕事にするか?みたいな狭い2択じゃなくて、それとの付き合い方って色々あるよ、という一種の提示だよね、って教授に言ってもらった。

どういうふうに音楽と付き合えるのか?みたいなことはずっとぼんやり考えていたけども、

多分わたしは仕事にはできないし、そもそもしたいとも思っていなかったけど。

でも、ただの「趣味」とは言いたくないし...。みたいなもやもやについて、

ようやくわかってきた気がする。

やっぱり自分が人と出会うツールだな、と思う。

それ(音楽)を大事にできる方法を自分自身がちょっと分かってきたのかもと思って。

つくってみて、よかったなと思った。

自分のなかでなんでそれをやってるのか、って。

きっと、最後の最後にわかることじゃん。ピアノとか、音楽とかって表現の媒体だから。

でも、「続けていた」という事実が、いぶりがっこになるキーワードなのかもね。

俺もなんで音楽をやってるかわからない。

「音楽家です」とは名乗っていないけど、そう言い切っちゃった方が楽だなと思う時もある。

でも、わからないことを「わからない」と言うとか、

曖昧でいる強さも続けていく上では必要かなと思う。

趣味でも、仕事でもない大事なもの、とちもすが自分のなかで認識してることも、

すごく大事なことなんだと思う。

はっきりなにかが言い切れる、わかる状態になるには、

何年もかかって当然だと思う。怠惰とかじゃなくて。

ちもすのペースも、今までと変わらずでいいんじゃない。

卒業するって、大それたことに捉えちゃいがちだし、これからどうしてく?と考えがちだけど、

これまでやってきたことがしょうもないことじゃなくて、大事なことなら

それを続けていけばいいだけ、なんだろうね。

____アツいぜ。

そういうふうに言ってもらえる人、たいらに出会えたことが、アツいです。

・・・

出会い方って重要だよね。

イーロンマスクがたまたま道路で倒れてて、その時俺がだいじょうぶーって水持っていったりしたら

たらマブダチになるだろうし。

____生涯の友ですよ。

でもツイッター見てたら、絶対に友達になりたくない。

不思議だ。

ちもすとも、出会いかたを間違ってたら友達にはなってないかもだしね。

_____そうですよね。不思議。

・・・

2025.2.7

  • Lyricist

    Hitomi Onochi

  • Composer

    Hitomi Onochi

  • Producer

    Hitomi Onochi

  • Piano

    Hitomi Onochi

Taira Front Cover

Listen to Taira by Hitomi Onochi

Streaming / Download

"