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大作曲家が考えていたことを知るのは容易ではない。表面的な事実を知れば済む話ではないからだ。感情面などは当然として、規則や風習など文書化されたものが残っていれば知ることができる。しかし不文律のような慣しや風習は当時の人々にとっては当然であっても、時間を隔てた人間が知るのは予想以上に難しい。


 それならば確証が得られない事実であっても、さまざまな事柄から推測できる事をたくさん集め、それらを多角的に考証することの方が我々が享受しうる利益は結果的に大きいのかもしれない。
 
 そのような前提に立ってみると、このヨハン・セバスティアン・バッハという稀に見る大天才は、現代を生きる我々に多くの考える材料を与えてくれる。

今回取り上げている曲は次の通り。

「2声のインヴェンションと3声のシンフォニア」 全30曲

「アンナ・マグダレーナの音楽帳」より 20曲 (BWV.Anh.113〜132)

ともに鍵盤楽器の初心者用の作品として知られている。

 「2声のインヴェンションと3声のシンフォニア」は長男フリーデマンの学習用として作られた。
 「アンナ・マグダレーナの音楽帳」はバッハの二人目の妻アンナ・マグダレーナの学習のために書かれた。こちらは曲集全てがバッハの作品であるわけではなく、バッハ以外の作曲家の曲も掲載されている。バッハがまとめたことからバッハの作品として知られている。掲載されている曲の中には、作曲者がよくわかっているものもわかっていないものもある。
 この2つの曲集はそれぞれ学習用に書かれたことになっているわけだが、その後の時代のいわゆる「練習曲」の主旨とは違っていて、どうやら話は単純ではないように思う。後々のリストやショパンの時代の練習曲とは違うのは当たり前だが、この曲集のそもそもの目的が後世に見る技術の鍛錬を主たる目的とした練習曲とは違っている。この曲集が技術の鍛錬を目的とするならばあまりに簡単すぎるのだ。それでは技術の鍛錬が第一の目的でなければ何が目的だったのか。結論からいうと最も重要な目的は、バッハの「音楽観」を伝えることだったのではないかと思う。例えば2声のインヴェンションに見られる芸術性の高さは、子供向けの作品としては異常といえば異常である。その芸術性の高さは、この曲の録音を多くの巨匠が残していることから容易に伺うことができる(ちなみにピアノ学習者によく知られるツェルニー100番の名演を残した巨匠はいない。)。子供向けの作品は芸術性が低くともよいと言っているのではない。子供の発育に応じて技術的なレベルと芸術性を両立・コントロールすることは大変難しいことなのだ。作曲の技法でも2声よりも3声4声の方が芸術性が充実した作品は作りやすい(平均律クラヴィーア曲集を参考いただきたい)。つまり名作が生まれやすい。ただ当時のフリーデマンなどのような音楽理論の初心者には、3声4声よりも2声の方が対位法の構造がわかりやすい。そこでバッハは子供向けに芸術性が高く、技術レベルも状況にあった優れた2声の対位法のサンプル曲を、実際に作ってあげてしまったのだ。「さすがバッハ」としか言いようがない。つまりこの場合の「音楽観」とは、対位法についての考え方に加え、実際の技術や様式などを総合したものであり、この曲集はそれらをしっかりと味わい学べるようになっている。このことをもってバッハは「インヴェンション」と名付けたのではないか思っている。「インヴェンション(invention)」という語は「イノヴェーション(innovation)」、少し遠くは「インヴェスター(invester)」と語源を同じくする。

 「アンナ・マグダレーナの音楽帳」も同じような意味で指の技術の習得や鍛錬が主な目的ではないように思う。しかしこの曲集の求める技術的な水準からアンナ・マグダレーナの音楽全般の能力を見積もってしまっては、彼女の能力はいささか低く見積もられているのではないかと思えてくる。
 
 アンナ・マグダレーナはバッハの16歳下。20歳前後でバッハの2人目の妻として嫁いでいる。その頃すでにケーテン候の宮廷ソプラノ歌手として活躍し有名だったようだ。上司にあたる宮廷楽長がバッハである。バッハはソプラノ歌手としての彼女を若いがプロフェッショナルな歌手であると高く評価していた。音楽を生業とする家系の出身でそれ相応の音楽的素養は身につけていたと考えられる。つまり音楽帳の曲が彼女の鍵盤楽器演奏の技術向上のための練習曲だったとは考えにくい。
 この「音楽帳」には何曲かの歌曲、コラール、チェンバロやオルガンの作品などさまざまな曲が掲載されている。鍵盤楽器のための作品には様式の異なる何種類かの舞曲などが含まれる。これらの舞曲は当時の音楽様式を学ぶ上で重要なもので、のちの時代のソナタや交響曲の礎になるものでもある。
 当然、現代にアンナ・マグダレーナの当時の録音が残っているわけはなく、彼女の音楽の能力に関する細かな記録が残っているわけでもないので、想像の域を出るものではないが、この曲集はバッハが選曲した様式や形式を学ぶための譜例集だったのではないかと考えられないだろうか。

 アンナ・マグダレーナはバッハにとって良い妻だったようだ。バッハの作品の写譜にも彼女の筆跡になるものが多く、面白いことに年を経るに従って彼女の筆跡はバッハの筆跡に似てきたようなのだ。つまり彼女は写譜以外にもバッハの仕事を手伝っていたと考えるのが自然であり、そのための当時の基本的な音楽の知識・教養が必要だったのではないか。そしてそのための教材が「音楽帳」だったのではないかと考えている。

 歴史に名を残している偉大な作曲家が身近な家族のために優れた作品を残す。麗しい話には違いない。しかし更にこの話から私の脳裏を横切るのは、バッハの一族から300年あまりの間に百人を超える音楽家が輩出されているという事実である。この話は遺伝学的にも注目される話だそうだ。
 当然遺伝的な要素がないとは言わないが、その要素だけでこれだけ大人数の音楽家が輩出されるとも思えないのだ。
 つまりバッハがしたことは、家族に自らの「音楽観」「音楽的遺産」を伝えるということであり、バッハ一族の伝統的な風習だったのではないだろうか。

 バッハの死後、アンナ・マグダレーナの元に作品が残されることはなく、作曲家として名をなした息子たちが回収してしまった。これを持って親不孝な息子たちと見る向きもあるようだが、その後、世紀を越えた19世期以降にメンデルスゾーンらによりマタイ受難曲の再演されたことなどをはじめ、バッハの再評価や復活演奏が各地で起こった。1750年に没した大作曲家の大量の作品はヨーロッパの変化の時代を経ても散逸していなかったのだ。


2声のインヴェンションと3声のシンフォニア
BWV.772-BWV.801

「アンナ・マグダレーナの音楽帳」

メヌエット  BWV. Anh.113
メヌエット  BWV. Anh.114
メヌエット  BWV. Anh.115
メヌエット  BWV. Anh.116
ポロネーズ  BWV. Anh.117a
メヌエット  BWV. Anh.118
ポロネーズ  BWV. Anh.119
メヌエット  BWV. Anh.120
メヌエット  BWV. Anh.121
マーチ  BWV. Anh.122
ポロネーズ  BWV. Anh.123
マーチ  BWV. Anh.124
ポロネーズ  BWV. Anh.125
メヌエット  BWV. Anh.126
マーチ  BWV. Anh.127
ポロネーズ  BWV. Anh.128
チェンバロ独奏曲  BWV. Anh.129
ポロネーズ  BWV. Anh.130
タイトル不詳  BWV. Anh.131
メヌエット  BWV. Anh.132

Meditone963