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世界中の様々な土地の素晴らしいミュージシャンと独自の音楽を作ってきたSandii。日本におけるボーダレスミュージックの先駆者ともいえるSandiiが、『歌手Sandii』の集大成となるべく、今アルバムの制作に選んだ土地がオアフ島と東京。
タヒチアン、ハワイアン、日本語の曲などを取り上げ、ドラムセットを使用しない、アコースティック楽器で構成する、日本に紹介されていない名曲を積極的に取り上げる、そんなアイディアをもとに、各アレンジャーが自由に作品を仕上げ、モダンなレムリアミュージックの創造に努めた。
フラの伝道師とも呼ばれるSandii、そして歌手としてのSandiiが表現する、美しく生命力の溢れるレムリアミュージックをお楽しみください。(青柳拓次)
1976年「サンディー」名義の初シングル「グッドバイ・モーニング」で第7回世界歌謡祭のグランプリと最優秀歌唱賞を受賞し、シンガーとしてのキャリアをスタートさせ、1980年には、YMOの細野晴臣プロデュースのアルバムを日英でリリース。その後、サンディー&ザ・サンセッツを結成し、ヨーロッパやオーストラリアでツアーを敢行。全英のメジャー音楽誌の表紙を飾り、英MME誌での高評価、シングル「スティッキー・ミュージック」が豪チャート各地で1位になる等、世界に通用する日本のアーティストとして数々の記録を残す。 1990年にはシンガポールのディック・リーのプロデュース・アルバム『マーシー』でソロ活動を再開。戦前の歌謡曲からハワイアン、アジアやブラジルの音楽を前向きに吸収し解釈した独自のスタイルは、当時、日本で巻き起こったワールドミュージック・ブームの先駆者となる。1996年からは、自らのバックグランドであるハワイ音楽のアルバム制作も続け、自身のフラスタジオを設立し、現在800名の門下生を育てている。2005年に数々の修行が認められ、フラ・カルチャーを伝導する最高位である「ウニキ・クム・フラ」の称号をハワイの先人達から授かる。 セリーヌ・ディオンの最新DVD(Celine Dion Through the Eyes of the World)では、サンディーのオリジナル曲「Watashi」をセリーヌ自身が日本語で歌っている。Fuji Rock Festivalに出演時には大好評を博す。 常にシンガーとしてのオリジナルアルバムも積極的にセルフプロデュース、唯一無二のアーティストとして活動と進化を続けている。
Mana Pacifica c/o INSENSE MUSIC WORKS INC.