ポエレーベル『刻想2022』ラブ&ピースアラモードのジャケット写真

ポエレーベル『刻想2022』ラブ&ピースアラモード

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2022年9月にストリートピアノで展開した即興ライブです。即興弾き語りの内容は、親友であり歌手のごとうさんの誕生日プレゼントに捧げたもの。朝、白鳥を撮影しながら歌と即興詩をプレゼントしてたのですが、スマホ壊れてて全部まともにとれてなくて……。仕切り直しで夕方ピアノで再度即興にトライ!

お題は「一番は『内藤さん:Knight Monkey先輩へ→https://www.instagram.com/k.m_knight.monkey/』・二番以降は『シリアスからはじまり、明るく終わる』」です!

もとねた即興音源→https://note.com/ai0ueoka/n/n4a1e5495e443

歌手のごとうさんです→「THE YELLOW MONKEY『パール』カバー GoTo :ごとうさん@ポエレーベル」https://www.youtube.com/watch?v=yMKtEMkPjmw


これにちなみ、政治について何をどう思っているのかをここに記載しておきます。
ご興味あればぜひ。



◆概ねの価値観


政治や社会について考えることは常にあります。

「人間関係において与え合う影響の政」

それが政治かと個人的に考えています。故に、実生活での自分の選択すべてが自分の政治的立場であると考えるタイプです。

「身近な政治、それは普段の『買い物の選択』」、みたいな。


ストリートピアノを弾かせて頂いている谷保の商店街に『広島屋』という酒屋さんがあり。その86歳?くらいの社長さんは、常に若く。彼のセリフに一票。

「政治について語る時は、自分が総理大臣になったつもりで言葉を選ぶべき」

政治に根幹に、「政治家は市民の鏡(鑑も然り)である」、というシステム論があり、的を得ているなと感じたからです。

もちろん、実際の政治家のように、そこまでの勉強・知識量が私をはじめ概ね多くの方に追いつかないのは当たり前かとは思うのですが、それでも尚、「市民としての『当たり前を高めなさい』」と、いつも社長さんは伝えてくれています。

広島屋の社長さんは、老若男女、さまざまな方に愛される街の顔。
未だに現役で、好奇心旺盛。
誰かのせいにするでもなく、自分でできることをできる範囲で淡々と行う。
その上で、個人としての成長を諦めるという選択肢もない。

それが、社長さんの『当たり前』なのだろうなぁって感じています。
だから、頑張らねばと、自然と想えます。

つまり自分にとって政治とは『人間関係そのもの』であり、目の前の人とひとりひとり真剣に話すようにしています。

ただ人が好きで話が好きなだけですが、自分にできることはそれがまずあるかと。



◆「支持する政党や政治家は特にいない」


詩人・金子みすずの言葉、

「みんなちがって みんないい」

この言葉の意味は、「すべてものは唯一無二・物事は比較はできない」ということだと感じ、自分にはとても馴染んでいます。

つまり、政治的価値観に対しても柔軟に、その時々で、自分の最善で選択できたらと思うので、

①「自分で考えたい」
②「『人』ではなく『物事』で個別に判断したい」

という立場をとっています。

その上で、

あらゆる『情報』は『個人』のものであり、

①インプットは『素材』でしかなく
②アウトプット・加工してはじめて『情報』

という考え方を個人的に選んでいて。

例えば、「政治的発言」に関しては、

「『誰』の発言なのか?」

ではなく

「どんな発言なのか?」

に着目し、自分を育てるための価値観にできたらなぁという立場です。

親友の中には、極端な右翼思想を持った幼馴染たちや、その母である団塊の世代のガチ左翼のおばさん、ノンポリの方も、加速主義の方も、政治に絶望している方々など様々います。

よく遊びにいく『かけこみ亭』は左翼思想の方々も多いですし、お店はまさにそれ一色。僕は基本、それには染まらないですし、そこにいるみなさんでさえ、ひとりひとり個別に考え方も違う。

市議会議員を務めている友人も二人いますが、同感できる意見もあれば、違和感を覚える意見があるのもまた然り。

それが当たり前かと感じています。

つまり比較ではない。

違いがそうあるように存在しているだけなので、否定するという選択肢はない。

違い、つまり、自分の意見をただ伝えればいい。

その上で、背景にある感情論はまた別の話かと思います。

「思想と感情は選り分けるべき」

とは思いますが、なかなかそうもいかないのが人間で、そこにひとの魅力も感じるので、概ねどんな話をするのも大好きです。


僕は特定の宗教に帰依していたりもしないですし、信仰のある方への偏見も少なそうです。その理由は、

①「それぞれ信じているものがちがう」
②「信じ方も違う」
③「それを信じた『理由』も個別」

そして、概ねみな

④「信じるものに支えられている」

そう考えるタイプなので、その背景にある情報をとにかく集めた上で「物事を個別に判断」していけたらいいな、という立場をとっています。

要は、それを信じることによって、「各個人の幸福が、その個人を経て全体にどんな作用をもたらしているのか?」についてできるだけ観察したいタイプなので、

⑤「互いの幸福を奪い合うのは好きじゃない」

という立場を取りたく、

そのためにできることは

⑥「自分で考える=行動する」

というシンプルな原理です。

例えば、悩み事があった際、その決断を他人の意見に合せて動くと悪く作用することがあったとしても、それは安易に他人が悪い訳ではなく、「本当に自分で考え、それを選んだであろうか?」と振り返りたく思います。

共有する情報の抜けや誤解など様々あるのがコミュニケーションの本質かと思いますので、逆にそう思うことで、開ける道があるなと考えています。


数年前、20年ぶりに地元で再会した右翼思想の幼馴染と、その母であるおばさん交えて、政治についてワイワイ話していた末、目の前で母と息子がガチで討論になり、最後におばさんが一言言いました。

「うえちゃん、こうやって、違う価値観の誰かと同じテーブルを囲める、それ自体が『平和』よね?」

同感です。


◆「今回の『国葬』について」


どんなものごとに対してもそうですが、

①「在るものは有る」
②「在るものを否定したくない」

その上で

③「自分には何ができるのか?」

という考え方を有しています。

つまり

④「つくることで解決したい」

という考え方です。

今回の『国葬』に関し、まわりにも千差万別様々な意見はあります。

その上で、自分が選んだのは、この『刻想』でした。

安部さんを好きな親友も少なからずいます。
同様に反対意見もありますが、それは個人個人の想いです。

これは誰においても変わらない考え方ですが、「望まれない形で人が死ぬことが悲しい」。そう考えています。

コロナ以降特に、胸に刻んでいったこととして、「とても大変だった」「疲れた」「悲しかったし今も悲しい」という想いがあります。

でも、それを通じて、感受性や考えることのできる幅もまた広がりました。
その上で「在った」ものを否定せず、様々な角度からそれを考察できたらと思っています。

想像力を養うためにできること。
それについて考える昨今でした。

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