ねえ 今日はすこしへんね
渋谷がぜんぶ海に沈んで
かたい鱗の魚が泳ぐ幻が見える
路線バスの「おります」ボタンを押すはずだった手が
すこし ためらって
つぎの失望へと引きつがれてしまう
(発車します。おつかまりください)
信号を待つあの男のひとはきっと
手を握る子どもがいとおしくてしかたない
子どものためなら歯を見せて怒鳴るかもしれない
おうちには同じように子どもをいとおしむ奥さんがいて
そのひとのこともまた同じようにいとおしい
直径のせまい自転車でずいずい坂道をのぼるあの子をきっと
いままさに晩ごはんが待っている
それはひょっとしたら卯の花の煮物 とりのもも肉 卵焼き
五時のチャイムが鳴る前にドアをあければ
いいにおいがすることをちゃんと知っている
スニーカーを履いたあの女のひとはきっと旅の途中で
誰かに見せたくてシャッターを切っていく
いつかふと遠くへ行きたくなったとき
もしかしたらこの通りを思い出す
きみはじぶんの手のひらを眺めまわしては
水かきが生えてくるのを期待している
(つぎ 止まります)
こぼれだすきみのたましいが赤い軌跡を残し
沈んでいくバス通りは
花火をあげたようだよ
死ねない
ねえ ことばを尽くすほど
ことばが遠ざかっていくように
じぶんが遠ざかっていく日があるね
ヘッドライトの残響に耳をかたむける
あるいはそれは波音だったか
(ドアが閉まります。ご注意ください)
見知らぬ暮らしでできた街さえ
じぶんを奪ってはくれないのだ
かつてここは海であった
すぐにわかったよ きみの耳たぶが
貝殻だったから
きみはいつも誰かになりたくて
ノートを落書きの詩で埋めていく
きみはいつも誰かになりたくて
すくない友だちにうそをつく
きみはいつも誰かになりたくて
パトカーを壊す想像をする
きみはいつも誰かになりたくて
ノートを落書きの手紙で埋めて
ぼくらはいつも誰かになりたくて
ひとつのバスを降りられないまま
ライトが尽きるまで走っていこうとする!
(つぎは 渋谷駅。渋谷駅。終点です。)
かつてここは海であった
あのビルのちょうど上に水面があった
古代魚の腹が滑空していくとき
光の粒がいくつも手のひらまでこぼれおちる
きみの耳たぶにさかなが遊び
潮が結晶をつくって空が白んでいる
きみはいまもまぼろしのなかで
(つぎは)
チェーンのファミレスに入っていく
あの女のひとはきっと
けさ猫が死んだ報せをふるさとから受けた
きっといつも肥満ぎみであまえたがりの猫
最近は陽だまりにころがってばかりだった
バッグにぬいぐるみをくっつけた
あの高校生はきっと
恋人の怒るきっかけがぜんぜんわからない
もしかしたらほんとうはやさしくしたいだけなのに
きみはかつて海であった
目が醒めるほど青い海であった
じぶんであることそのものさえ呑み込んでいく
化けもののような海であった
きみの涙を見たらすぐにわかったよ
きみはいまもまぼろしのなかで
ねえ
ゆくえを失くすまで
ひとのからだで揺られていようよ
水かきを持たない五本の指を
めいっぱい 水面へのばして
きっと
垣根の上を渡っていくあの男の子の
おとうさんは二年前から戻ってこない
船に乗ったことだけは知っている
船に乗って去っていったことだけは
信号を待つあの男のひとはきっと
手を握る子どもがいとおしくてしかたない
おうちには同じように子どもをいとおしむ奥さんがいて
そのひとのこともまた同じようにいとおしい
信号を待っている
あの男のひとはきっと
部屋に三百七十通の
遺書を 隠している
(発車します どうか)
ねえ
(つぎは)
- Lyricist
Kujira Sakisaka
- Composer
Yuya Kumagai
Listen to can't die yet by Anti-Trench
Streaming / Download
- 1
Prologue:The gland
Anti-Trench
- ⚫︎
can't die yet
Anti-Trench
- 3
Love letter
Anti-Trench
- 4
Interlude:distance between two points
Anti-Trench
- 5
on the planisphere
Anti-Trench
- 6
The day you were born
Anti-Trench
- 7
Epilogue:Drifters
Anti-Trench
Artist Profile
Anti-Trench
Anti-Trench 詩人・向坂くじらとGt.クマガイユウヤによる朗読ユニット。2020年1stAlbum「ponto」「ŝipo」リリース。 向坂くじら 詩人。第一詩集『とても小さな理解のための』(しろねこ社)。朝日新聞、共同通信社配信の各地方紙、他雑誌などに寄稿。教育の分野でも活動し、各所で詩の出張授業を実施するほか、2022年埼⽟県桶川市にて「国語教室ことぱ舎」を自ら創設する。 クマガイユウヤ ギタリスト、コンポーザー。 セッションミュージシャンとして幅広くジャンルレスに活動するだけでなく、ソロプロジェクト・THE NAAVなど、各所で精力的に活動中。BMSG所属アーティスト・Novel Coreのバンドメンバー。
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