Skyscraper
はるか高く立ちはだかる
Skyscraper
いつもお前は見つめてる
ハトも出せない
奇術師の行く末
片足で吊るされ
意味も無く笑うだけ
重た過ぎる不安に
押しつぶされそう
朝が来て また 夜が来て
逃げ出せ!
ハンマーが振りおろされる前に
Skyscraper
いまにも崩れ落ちそうな
Skyscraper
何とか持ちこたえてる
風船の中に
真実が詰まってる
食べたくて
皮を剥けば あとかたもない
心のテープを切るハサミを渡して
そんなにまでしてしがみつく
理由はどこにある?
誰にもわからない
Skyscraper
パラドックスの渦の中で
Skyscraper
偽善者が立ち回る
So it goes So it goes
So it goes So it goes
Skyscraper
はるか高く立ちはだかる
Skyscraper
だからお前を見上げてる
Skyscraper
いまにも崩れ落ちそうな
Skyscraper
何とか持ちこたえてる
Skyscraper
はるか高く立ちはだかる
Skyscraper
だからお前を見上げてる
Skyscraper Skyscraper
Skyscraper Skyscraper
- 作詞
野呂 孝一
- 作曲
野呂 孝一
- プロデューサー
ホリエアキラ, ヒトミィク
野呂 孝一 の“Skyscraper (feat. ヒトミィク)”を
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Skyscraper (feat. ヒトミィク)
野呂 孝一
ヒトミィク最後のサプライズ!
ヒトミィクが音楽活動を再開する中で、コーラスとして参加した野呂孝一の声の存在感は、彼女を驚かせた。
そしてそれは「野呂孝一をプロデュースしてみたい」という彼女の思いを駆り立てた。
野呂孝一は80年代後半「NONSECT」でデビュー。ヒトミィクこと倉本ひとみ率いる「Han-na」とは音楽仲間でもあり良きライバルでもあった。「NONSECT」にはホリエアキラ、広本葉子が在籍。そして、ヒトミィクプロジェクトの要でもある。
ヒトミィクは、この話をホリエ氏に相談。
その作品は「NONSECT」の未発表曲「Skyscraper」に決定した。
野呂孝一の存在感ある声を活かすべく、ヒトミィクのイメージはホリエ氏に託されS新生「Skyscraper」は完成した。
エモーショナルな大人の色気を纏う野呂のボーカル、随所で交わるヒトミィクのコーラスのコンビネーションはとてもスリリングだ。
当時の「NONSECT」ファンのみならず、大人のロックファンには、是非聴いて欲しい。
アーティスト情報
野呂 孝一
1961年2月16日 北海道三笠市生まれ O型 水瓶座。 1983年 ブルース・レゲエをベースとしたロックバンドNONSECTを結成。ボーカル・作詞・作曲を行い、北海道を中心に精力的にLive活動を開始する。 1984年6月 SD HOKKAIDO HIGUMA Label より、「No.94 / Harbor Street」 リリース。 1988年3月 日本コロムビア BODY レーベルより、ファーストアルバ厶「GO-KOH」リリース。 全国Liveツアーを行う。 1989年9月 セカンドアルバム「FOCUS POINT」リリース。 1989年10月 シングル「哀しいね~Lonely City Blues/ Heaven」リリース。 「FOCUS POINT」全国ツアーを行う。 1990年3月 NONSECT 解散。 2020年2月 ヒトミィクが音楽活動を再開する中で、コーラスとしてプロジェクトに参加。
野呂 孝一の他のリリース
ヒトミィク
「ヒトミィク」とは 1989年にメジャーデビューしたHan-na(ハンナ)のボーカル・倉本ひとみの新しいペンネーム。 バンド解散後はソロシンガーとして、また音楽制作会社を設立し若いアーティストの発掘など、多彩な活動を行う。2010年に母親の介護の為に北海道に戻り、音楽活動を停止。 2020年、休眠していた会社を再開し、自らが再びシンガーとして活動する事を決意。ネオ歌謡というジャンルを旗印に、元メンバーや同期のアーティスト達、ソロ時代のプロデューサー星 勝氏らに参加を呼びかけ、曲作りを開始。 約3年間の闘病、余命宣告を受けながらも病に屈せず、精力的に制作活動を行う。 1年半の制作活動の中で20数曲の楽曲を遺し、2021年5月19日永眠。 彼女の作品は、ヒトミィク・プロジェクトがその遺志を継いでリリースを続けます。
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