裸のディナーのジャケット写真

歌詞

裸のディナー

ポール岡田

テーブルに置かれた赤いハイヒール

全てはそこから始まった

歪んだイメージは

美しい結末を望んでる

言葉の駆け引きは

本音を隠すため

偽りの演出を

さらに演出する

本当の気持ちはわからない

自分でも説明できない

だからこのストーリーの中

で生きていく

過ぎた事さえ

書き替えてしまえばいい

妄想で作り上げた舞台

全てが見える照明はいらない

狂い始めたイメージは

ハッピーエンドは望めない

気取った台詞もいらない

隠す必要もない

幕が上がったままの現実は

もう元には戻れない

本当の気持ちはわからない

自分でも説明できない

だからこのストーリーの中で

生きていく

過ぎた事さえ

書き替えてしまえばいい

本当の気持ちはわからない

自分でも説明できない

だからこのストーリーの中で

生きていく

塗り替えられた真実は

誰にも説明できない

だからこのストーリーの中に

消えていく

過ぎた事さえ

書き替えてしまえばいい

  • 作詞

    太琥絆希

  • 作曲

    太琥絆希

裸のディナーのジャケット写真

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    裸のディナー

    ポール岡田

現在75歳。46年ぶり?の新譜デジタルCDをリリースするロックな親父の挑戦作品

アーティスト情報

  • ポール岡田

    滋賀県大津市出身。1969年5月、グループサウンズのザ・カーナビーツの2代目ボーカリストとして加入する。5ヶ月後グループは解散 。1969年12月から翌1970年2月末まで渋谷東横劇場で上演された日本初のロック・ミュージカル「ヘアー」にウーフ役で出演。その後再びボーカリストとしてソロ、男女デュオなどで数枚のレコードをリリース。1970年代末、伊集院静氏の勧めで、音楽活動を休止、本名長岡和彦で広告業界へ転身。広告制作会社JMSクリエイティブセンターで、伊集院氏が小説家への転身で退社するまでの約1年間彼の部下スタッフを務める。その後本体のJMS(ジャパン・マーケティング・サービス)に移り、主にCMクリエイティブ・ディレクターとして音楽業界と関わりを続ける。広告映像企画制作やファッション・イベント制作などを手掛ける。2001年に、中学・高校の一年後輩で、ビーイングの創業者である長戸大幸氏の助力で、JMSを退社し個人会社を設立。2009年末にセミ・ドキュメンタリー小説「HAIR1969輝きの瞬間」をポール岡田名義で飛鳥新社より上梓。そのキッカケで、2010年から40年振りにバンド・ライブ活動を再開

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