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私は、歌が世界を生むところを、幾度となく見てきた。
ひとつの歌が響くたび、まだ名も持たぬ世界は、その歌の行く先へ、静かに形を与えられてゆく。誰にも応えられていない歌は、それだけで完全であり、孤独であり、自らだけが知る歩みを、静かに抱いていた。
やがて、遠くからもうひとつの歌が聴こえた。呼んでいる。自らにとてもよく似た歌だった。その瞬間、彼は初めて、自分自身を映す鏡を手にする。その歌に応えようとした、その息遣いのうちに、彼の内で、まだ生まれていない歌が、静かに思い起こされた。
歌は、歌を呼び続ける。歌は、ひとつの声に留まることを知らない。もうひとつ、もうひとつと歌へ耳を澄ませるたび、その歌は、静かに自らの輪郭を忘れてゆく。境界は滲み、散りひろがる。そうして彼は、ついには世界そのものになり、世界が誰のものでもなくなった。
「遁走曲」という名が与えられたことを、私は美しいと思う。ひとつの歌が、知る由のない自らの歩みを抱きながら、幾つもの歌へ、自らが見た景色を、自らの息づかいを委ね、託してゆく。その姿を静かに、そしてためらうことなく明け渡してゆく。そうしてひとつの歌が音楽となり、世界となり、自らを静かにほどき、忘れてゆく姿を、私は美しいと思う。この名を与えた者は、きっと音楽の息づかいに耳を澄ませていたのだろう。
ただ、その歌が、いつから歌われていたのかを私は知らない。
知 (@thommofonia)、幼名は 紅松 弥知(くれまつ みさと)。作曲家、シンガーソングライター。 個人勢 VTuber / VSinger えるもも (@ellmommo) としても流離う。
知