割れちゃった

毎朝、鏡を見るのが怖い。

今日も、洗面所に立つと、そこには少しずつ崩れていく私が映っている。右目の下から頬にかけて走る細い亀裂。昨日より、また少し深くなっている。

指で触れてみる。痛みはない。誰にも見えない。でも確かに、鏡の中の私は割れている。

ピー

どこからともなく聞こえる短い音。この音が鳴り始めたのはいつからだろう。最初は気のせいだと思った。でも今では、私の心の内側から鳴っているのだと分かっている。

教室の窓際の席。周りはいつも通りの日常。笑い声、おしゃべり、小さな喧嘩。誰もが自分の世界に生きている。

「大丈夫？なんか元気ないよ」

クラスメイトの言葉に、無理に笑顔を作る。

「ううん、全然。寝不足なだけ」

ピー

嘘をつくたびに鳴る音。私だけが聞こえる警告音。

放課後、誰もいない音楽室。ピアノの前に座り、何も考えずに鍵盤を押す。不協和音が部屋に響く。

心の中では、もっと激しい不協和音が鳴り響いている。

SNSのタイムラインをスクロールする親指が止まらない。みんな楽しそう。みんな充実している。私の投稿も、そう見えるように加工している。

本当の自分を見せたら、誰も近づいてこなくなるんじゃないか。
弱さを見せたら、裏切られるんじゃないか。
心の割れ目を見られたら、嫌われるんじゃないか。

そんな恐怖が、日に日に亀裂を広げていく。

ピー ピー ピー

部屋に戻り、机の引き出しを開ける。そこには、誰にも見せていない詩のノートがある。手が震える。でも、ペンを取る。

「割れていく心を、どう隠せばいい？」

言葉にすると、少しだけ楽になる気がする。だから書き続ける。誰にも見せない言葉。誰にも聞かせない叫び。

翌朝、鏡を見る勇気がなかった。でも、学校に行くためには見なければならない。恐る恐る顔を上げると—

無数のヒビ。もはやパズルのように細かく分かれた顔。それでも、その破片は落ちることなく、かろうじて私の形を保っている。

その日の授業中、机に伏せて泣いた。誰にも気づかれないように、音を立てずに。

思い切って、親友に打ち明けてみた。「実は最近、自分が壊れていくような気がして...」

彼女は笑った。「そんなの気のせいよ。もっとポジティブに考えないと」

ピー

その言葉が、新たな亀裂を生んだ。

勇気を出して書いた詩をSNSに投稿してみた。フィルターなし、加工なし。割れた心をそのまま言葉にした。

「割れちゃった 私の心は
直せないけど このままでも
生きていける 気がするんだ」

いいねは3つ。コメントはゼロ。
すぐに投稿を削除した。

その晩、鏡を見ると、ヒビはさらに深くなっていた。光が当たると、割れ目から漏れる何かが見える気がした。

完璧に戻ることはない。
それでも、毎日を生きていくしかない。

ピー

この音は消えない。
これが私の現実。

明日も、割れた鏡を見て、割れた笑顔を作って、割れた心を隠して、日常を演じるんだ。

それでも、どこかで願っている。
いつか誰かが、この割れ目に気づいて、それでもそばにいてくれる人が現れることを。

でも今日も、誰にも気づかれないまま、もう一つ、ヒビが入った。