

オイラは下田の大地主
そんな家柄の跡取りに 偶然生まれた
ただそれだけのことさ
百姓育ちの このオイラ
ハリスのおかげで 足軽に大出世
クワを脇差しに 持ち替えた
運命なんて わからねぇ(わからねぇ)
誰が決めてる わけじゃねえ(わけじゃねえ)
うまくのりこなしていくだけさ
異人の世話やきしてた朝
甘い香りがした 山門で 玉泉寺
下田芸者の お吉さ
夢にまでみた 亜米利加にも
跡取り息子の宿命で 行くことできねぇ
うらやましいのは 瀧蔵さ
人生なんて わからねぇ(わからねぇ)
笹の小舟に 乗るようなもの(乗るようなもの)
しがみついて いくだけさ
下田に戻り 所帯持ち
英語はできても百姓できねぇ 役立たずさ
浦島太郎は こんな気分かい?
村人相手に 領事館時代の話を
面白おかしく 聞かせてやったさ
トっぽい ハイカラ ジジイだぜ
役割なんて わからねぇ(わからねぇ)
いいじゃねぇか 喜ぶ奴もいる(奴もいる)
できることを やるだけさ
お吉が死んだと 聞いたときゃ
地蔵さん建てて祈ったさ 傾城塚
初恋忘れちゃ 生きた甲斐ねぇ
運命なんて わからねぇ(わからねぇ)
人生なんて わからねぇ(わからねぇ)
一瞬も 一生も 一緒さ
運命なんて わからねぇ(わからねぇ)
人生なんて わからねぇ(わからねぇ)
ただそこに オイラが いただけさ
- 作詞者
杉本 武
- 作曲者
大光寺 圭
- プロデューサー
でじたけ
- レコーディングエンジニア
井上博毅, 相澤誠嘉
- ミキシングエンジニア
井上博毅
- マスタリングエンジニア
井上博毅
- グラフィックデザイン
大光寺 圭, でじたけ
- ギター
大光寺 圭, 萩原正敏
- ベースギター
児玉幸大
- ドラム
井上博毅
- ボーカル
大光寺 圭
- オルガン
萩原和美
- ハーモニカ
下田朋美

大光寺 圭 の“助蔵ブルース”を
音楽配信サービスで聴く
ストリーミング / ダウンロード
- ⚫︎
助蔵ブルース
大光寺 圭
1854年、ペリー提督率いる黒船艦隊の来航により、日本は開国。
横浜で締結された日米和親条約によって、伊豆・下田の港が即時開港されることになりました。
その2年後、アメリカから最初の駐日総領事としてタウンゼント・ハリスが、通訳のヘンリー・ヒュースケンと共に下田に上陸。彼らは玉泉寺(ぎょくせんじ)を領事館として使用し、住み始めました。
ハリスの名は、のちに「唐人お吉」の物語で広く知られるようになります。
昭和初期にブームとなったこの話には実在のモデルはいますが、物語の多くは当時の社会背景を反映したフィクションだと考えられています。
しかし、実際の玉泉寺にはお吉が通う前から、地元・下田の少年たちが、ハリスとヒュースケンの身の回りの世話をする小間使いとして住み込みで働いていました。そのひとりが、この歌の主人公、西山助蔵です。
「助蔵ブルース」は、2020年8月に発行された伝記漫画
『ハリスに仕え お吉に恋した 下田の少年〜助蔵物語』
(原作:杉本 武/漫画:荒木 浩之/長倉書店刊)をもとに制作されたイメージソングです。
軽快なブルースのリズムに乗せて、シンガーソングライター・大光寺圭が、助蔵の波乱に満ちた生涯を軽やかに歌い上げます。
また、大光寺圭の案内で下田の町をめぐるYouTube動画「助蔵さんぽ」(全12回)も公開中です。
ぜひ、そちらもあわせてお楽しみください。
アーティスト情報
大光寺 圭
1979年11月2日生まれ。神奈川県綾瀬市出身の女性シンガーソングライター。 2005年、「ピーチムーン」でインディーズデビュー。翌2006年には、マキシシングル「待ち合わせをしましょう」でメジャーデビューを果たす。かつてはガールズバンド「ラムネ」(2004年4月解散)でギター・ボーカルとしても活動。 2009年には、自身の楽曲「私の水平線」がフジテレビ系列『ライオンのごきげんよう』のエンディングテーマに採用され、全国的な注目を集めた。 音楽活動に加えて、看護師として医療の現場でも働き、書道6段(師範)の資格も持つなど、多才な一面を発揮している。 現在は地元・綾瀬市を拠点に、シンガーソングライターとしてライブや楽曲制作を行いながら、看護師としても地域に貢献。毎年9月に開催される「あやせ音楽祭」では実行委員長を務め、音楽を通じたまちづくりにも力を注いでいる。 さらに、2025年12月に綾瀬市オーエンス文化会館で上演予定の、あやせの市民ミュージカル『ケサランパサラン』には楽曲を提供。地域文化の発信や育成にも積極的に関わっている。
大光寺 圭の他のリリース
PBC-network