1
Aloha Kakahiaka (feat. Sandii)
2
There's a Little Word (feat. Sandii) [Aloha]
3
Going to California (feat. Sandii) [Kaleponi Hula]
5
Pō La'ila'i
8
No Tūtū
9
Little Brown Gal (feat. Sandii)
10
Miloli'i (feat. Sandii)
11
Hasegawa General Store (feat. Sandii)
12
Ua Nani Ke Ānuenue (Ke Ānuenue)
14
Going to California (Japanese Version)
15
Maika'i Kaua'i (feat. Sandii)
16
E Hula Kākou (feat. Sandii)
18
Ku'u Tūtū (feat. Sandii)
19
Sassy Little Mynah Bird (feat. Sandii)
22
"A" Stands for Warm Aloha (feat. Sandii) [Aloha Means I Love You]
23
There Goes Kealoha (Kealoha)
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サンディーのフラの師匠パティ・ケアロハラニ・ライトの夢は、子供達のために伝統フラのエッセンスを集大成したアルバムを作ること。その夢が、サンディーの協力でついに実現した。このアルバムでSandiiは6曲リードボーカルで、全曲でコーラスで参加している。
ここに収録された曲は、フラを愛する世界中の先生達、小さなフラダンサーのために歌われているが、子供達向けのフラアルバムだけでなく、ハワイを、ハワイの文化を愛する者にとっても必聴アルバムだ。
Sandiiの歌声も楽しめる、子供達への深い愛情がたっぷりとつまった、極上のハワイアン・アルバム。
1976年「サンディー」名義の初シングル「グッドバイ・モーニング」で第7回世界歌謡祭のグランプリと最優秀歌唱賞を受賞し、シンガーとしてのキャリアをスタートさせ、1980年には、YMOの細野晴臣プロデュースのアルバムを日英でリリース。その後、サンディー&ザ・サンセッツを結成し、ヨーロッパやオーストラリアでツアーを敢行。全英のメジャー音楽誌の表紙を飾り、英MME誌での高評価、シングル「スティッキー・ミュージック」が豪チャート各地で1位になる等、世界に通用する日本のアーティストとして数々の記録を残す。 1990年にはシンガポールのディック・リーのプロデュース・アルバム『マーシー』でソロ活動を再開。戦前の歌謡曲からハワイアン、アジアやブラジルの音楽を前向きに吸収し解釈した独自のスタイルは、当時、日本で巻き起こったワールドミュージック・ブームの先駆者となる。1996年からは、自らのバックグランドであるハワイ音楽のアルバム制作も続け、自身のフラスタジオを設立し、現在800名の門下生を育てている。2005年に数々の修行が認められ、フラ・カルチャーを伝導する最高位である「ウニキ・クム・フラ」の称号をハワイの先人達から授かる。 セリーヌ・ディオンの最新DVD(Celine Dion Through the Eyes of the World)では、サンディーのオリジナル曲「Watashi」をセリーヌ自身が日本語で歌っている。Fuji Rock Festivalに出演時には大好評を博す。 常にシンガーとしてのオリジナルアルバムも積極的にセルフプロデュース、唯一無二のアーティストとして活動と進化を続けている。
Mana Pacifica c/o INSENSE MUSIC WORKS INC.