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今回、私はこの作品のジャケットを描いた。制作の途中で、一度大きく描き直している。
描き始めた頃、最初に掴んだ感覚があった。言葉にはできないが、確かに見えていたものだった。だから迷わず描き始めた。
けれど途中で、その感覚が急に信用できなくなった。曲を聴き返すたびに別の景色が見えてきたからだ。光だと思っていたものは違うように見えた。進んでいる作品だと思っていたものは、立ち止まっているようにも聴こえた。
だから一度分岐した。光を削った。構図の意味も変えた。もっと別の場所へ向かった。その時は、本気でそちらの方が正しいと思っていた。
けれど最後は、遠回りをしたあとで最初に見ていた場所へ戻ってきた。不思議だったのは、戻ってきたという感覚よりも、最初に見えていたものをようやく理解できたという感覚の方が強かったことだ。
今振り返ると、その体験は『float』という作品を聴いていて感じたことと、どこか重なっている。
アルバム『UNBENT』を聴いていた頃、私にはXano Ginobiliという人が、自分自身を追い越そうとしているように見えていた。理想があった。届きたい場所があった。そして、その距離に苦しみながらも、その苦しさごと前へ進む力に変えていた。あの作品には強い推進力があった。理想に届いていない自分と戦いながら、それでも前へ進もうとする作品だったと思う。
けれど『float』を聴いていると、その戦い方が少し変わったように感じる。理想が消えたわけではない。諦めたわけでもない。ただ、理想に届いていない自分を以前ほど敵として扱っていない。その違いがずっと気になっていた。
「綺麗に輝く満月には憧れるがなりたいとは思えない」
この一節を聴いたとき、その変化の輪郭が少し見えた気がした。これは理想を失った人の言葉ではない。理想を見続けてきた人の言葉だと思う。追いかけ続けたからこそ分かる距離がある。届けば救われるわけではないこと。変われば答えに辿り着けるわけではないこと。そういうことを知ってしまった人の言葉に聴こえた。
だから『float』には静けさがある。穏やかだからではない。むしろ、その静けさの奥には、理想を追いかけ続けた時間が沈んでいる。
私はその変化をどこか他人事だと思えなかった。制作の途中で遠回りをしたことも、一度自分の感覚を疑ったことも、最後に最初の場所へ戻ってきたことも。結局、何か新しい景色を見つけたというより、自分が最初から見ていた景色を違う理解で見直しただけだった。
だから今、この作品を聴いていて思い出すのは、「変わろうとしている人」ではない。変わり続けてきた結果、自分が最初に見ていた景色をもう一度見直している人だ。私には、その姿が一番強く残った。
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