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この曲は、現代社会に蔓延する「サイレント・マジョリティ」という言葉の欺瞞に、静かに、そして激しく反旗を翻すブルースです。
「大多数の国民は理解している」という言葉に隠された、声なき人々の無力感と怒りを、切なくも力強いメロディで歌い上げます。
「サイレント・マジョリティ」という便利な言葉が、人々の沈黙や無関心を「賛成」とすり替え、議論さえ打ち切ってしまう現状を痛烈に批判。
しかし、この歌はただの批判で終わりません。
「俺はここにいるぞ」「俺は考えてるぞ」と繰り返される叫びは、見えない圧力に屈することなく、自身の意志と存在を主張する、静かなる抵抗の表明です。
「一人一人の声は雨粒ほどに小さくても、集まればやがて濁流になる」というフレーズは、絶望の淵に立ちながらも、かすかな希望を信じ続ける不屈の魂を表現しています。
このブルースは、社会の片隅で息を潜めるすべての人々へ、声を上げる勇気と、連帯の力を思い出させるための鎮魂歌です。
魂を震わせる、人生の機微を歌い上げるブルース&フォークシンガー。 泥臭くもどこか温かい、年輪を重ねたような特有のハスキーボイスが魅力のシンガーソングライター。ブルースが持つ深い哀愁と、フォークミュージックの素朴な手触りを融合させ、人間の光と影、そして何気ない日常の風景をリアルな言葉で紡ぎ出します。 彼の歌声には、長い人生の旅路で味わった喜びや悲しみがそのまま宿っているかのよう。時に力強く吠え、時に隣で静かに語りかけるようなそのボーカルスタイルは、聴く者の心の奥底にある感情を静かに、そして強く揺さぶります。 アコースティックギターの爪弾きと、言葉の端々に宿る体温。藤原幾世史の音楽は、一人静かにグラスを傾ける夜や、ふと立ち止まって自分を見つめ直したい時にそっと寄り添ってくれる「大人のためのサウンドトラック」です。