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この楽曲は日頃、夫には言えないことを詩っています言わば『世界一の夫のファンとして、夫を讃える歌です』。
20代の頃、建築建設現場で働いていた夫は両足首複雑骨折し、3度の手術(骨盤から骨を削り足首に移植するなど)し働けなくなって、もうダメ「The end」と思われたことが何度もありました、
しかし、療養中またリハビリ中に猛勉強をして沢山の資格試験に合格して、国家試験の技術士(機械・衛生)にも合格して、現場に出なくても仕事ができるようになりました、本当に凄いそこ力を見せてくれました。
仕事は順調に進み、東京本社へ出張に行く前日、1995年『阪神淡路大震災』で家(甲子園)は全壊して、またしてもどん底に、丁度 東京へ出張する用意をしていたのでスーツケースを持って夫婦で東京へ行き、東京では沢山の仕事をこなしました。
東京スカイツリー第二展望台のお仕事もできるようになり、一戸建ても手に入れて上り詰めていました、私達夫婦はローンもあるので、お酒も煙草も飲まない、外食もせずに慎ましやかな生活をしていました。
夫を毎日軽自動車で送り向かいをして(その間に私も軽い仕事をしていました)そんな冬の寒いある日 家に帰ると家の中のカーテンしかない(泥棒に入られた)ことがあり絶望しました、12月の28日でした。
そのまま南房総まで行き車ごと海に飛び込もうかと思うこともありましたが、セコムさんと契約をして、その後もセコムと警察が17回の出動で立ち直れない、それでも仕事はしたい生き抜きたくて。
毎朝5時に起きてお弁当を作り、晩まで仕事して夫婦で毎日真面目に働いても泥棒に搾取され、税金は高く、何度も何度も もうダメ「The end」と思いヘトヘトでした。
そんな時の2011年に『東日本大震災』、もう、今度こそダメだろう「The end」と思われてからの夫の立ち直りは凄かった。「薬屋のひとりごとの猫猫の養父」と同じように穏やかに黙々と仕事をこなすのですよ(カッコ良いでしょ^^♪)
目の神経にウィルスが入り両目が見えなくなった時も 凄まじい粘りで乗り切って、夫は私にとってのヒーローになりました。いやこの半世紀私のヒーローなんです。貯金は一切無いけど^^♪
長年勤めていた会社を60歳で定年して、これからは年金暮らしになるのかと思いましたら、
子会社からのお誘いで71歳までの11年間、若い人たちに技術を教えて先生に、いよいよサラリーマンが終わると思いきや
今度はフリーランスで協力会社(個人授業主)と言う形で社会に貢献する夫を見ていると眩しくて、不甲斐ない自分を恥じる日々です。
しかしながら恥じてばかりは いられないので詩にして少しでも多くの人にこの凄さを半世紀を知って頂きたいと思いました。
そして、どんなに試練が続いても日々の仕事を淡々とこなしていればいつの日か幸せになれるかも知れないと思うのでありました。
アラ古希( around seventy)の夫婦のことや日常起きたことを詩にしています。 70年以上生きて来て、もうダメ「The Endだ」と思うことも何度も何度も経験して それでも這い上がり生きてきました、その過程を歌詞に込めました。 作曲は、SUNOAIさんにして頂いています。歌もSUNOAIさんにして頂いていますが、 フィモーラでカラオケにして自分で歌ったのも配信していく予定です。 TuneCore Japan サポートチームさんには「おじいちゃんおばあちゃんも」と励ましを頂き希望を頂きました。 TuneCore Japan さんは配信して下さると言う事なのでゆだねたいと思います。 私の70年の心の詩が世に出して頂ける、何方かの心に届くかもしれない、そして、 悩んでいる人も私の詩で少しでも笑顔になって下さればいいなと思いワクワクしています。