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「風俗嬢になった私」は、
“仕事として身体を使うこと”よりも、“感情を切り離し続けること”の消耗を真正面から描いた楽曲です。
シャワーでも落ちない匂い、シーツの跡、震える指で数える札――
冒頭から描かれるのは、華やかさとは真逆の日常としての現場。
ここで描かれる風俗は、刺激や快楽の場ではなく、
感覚を殺し、時間を金に換える場所として存在しています。
サビで繰り返される
「感じないことが 仕事になって」
という一節は、この曲の核心です。
“感じない自分”を責めるのではなく、
感じない状態に追い込まれる構造そのものを淡々と突きつけます。
後半では「尊厳」と「家賃」、「やめたら?」という無責任な言葉が対比され、
社会の側が持つ簡単な正論の残酷さが浮かび上がります。
逃げ道は理屈では存在しても、現実ではもう通れない。
その閉塞感が、Cメロで静かに爆発します。
ラスサビでは一転して、
「汚される前に 自分で選んだ」
という強烈な自己肯定が置かれます。
これは美化ではなく、生き残るための選択を否定させないための言葉です。
誇れなくても、嘘ではない。
それでも朝が怖い――その矛盾を抱えたまま、息をしている。
アウトロの
「誰にも買われない この時間だけ 私のもの」
という一行は、この曲に残された唯一の救いであり、
人間としての最後の輪郭です。
この楽曲は同情を求めません。
説教もしません。
ただ、「ここにいる人間が確かに生きている」ことだけを、
冷たく、静かに、そして誠実に描き切っています。
誰にも言えない名義らしい社会の裏側への直視と、
感情を煽らない生々しさが際立つ一曲です。