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この楽曲は、裏切りや暴力そのものを大きく描く作品ではない。
焦点が当てられているのは、**信じた瞬間から始まってしまった「奪われた後の時間」**である。
物語はごく普通の感情から始まる。
好意、視線、言葉、そして寂しさ。
そこには軽率さや扇情性はなく、「信じること」を選んだ一人の人間の自然な判断がある。
被害は、気づかないうちに、説明もないまま進行していく。
「身体がファイルになる」という表現は、この曲の核心だ。
人格や意思を切り離され、名前を失い、番号として消費されていく過程は、
加害者一人の問題ではなく、見る側すべてが関与してしまう構造的な暴力を示している。
この曲が特に鋭いのは、恥の所在がすり替えられていく瞬間を描いている点にある。
「恥ずかしいのは私の方だと思わされた時点で、もう完成だった」という感覚は、
暴力が成立する最後の工程が「自己責任の内面化」であることを静かに暴く。
ブリッジでは、触れられていないはずの身体が汚れたように感じるという、
言葉にしづらい後遺症が描かれる。
それは身体の問題ではなく、自分の境界線を侵された記憶が残っているからだ。
ラストに救済的な結論は用意されていない。
癒えたとも、乗り越えたとも言わない。
ただ、何事もなかった顔で日常を続けているという事実だけが提示される。
この楽曲は告白ではなく、糾弾でもない。
声を上げられなかった時間そのものの記録であり、
助けを求められない沈黙が、いかに合理的な自己防衛であるかを示している。
「生きてるだけ」という言葉は、諦めではない。
それは、壊されきられなかったという、
静かで確かな抵抗の形なのだ。