

私は、元商工会職員である。官公庁だ。
社会人三年目くらいの頃だったろうか。
その時から急激にアトピーが悪化し始め、高校一年生以来の重症になった。
原因はと考えるに、結局仕事のストレスが大きかったのだろう。
自分で言うなという話だが、私は仕事が非常に出来る方で普通の新人社員が任されないような大きなプロジェクトも抱えたりしていた。
同期入社と比べても、所謂出世コースにいる程に。
色んな重圧がかかっていたのだろう。
で、アトピーはどんどん悪化する一方。
仕事も山ほどある。
首の部分が酷く苔癬化という重症状態に。
誰が見ても異様な皮膚と分かるので、兎に角人と会いたくなかった。が、毎日会社に行かなければならない。
人目が苦痛で苦痛でしょうがなかった。
対人恐怖症になっていたのだと思う。
半年くらいその状況が続いて、或る日心が壊れた。
先ず一に、酷い動悸が四六時中。バクバクと止まらない。何にも集中出来ない。
第二に、不眠症。深夜2時とかに目が覚めて、またも酷い動悸で朝まで寝れないのが頻繁に。
さらに信じられない事に、この状況でも私は休まず会社に行き続けていた。一年ほども。
「このレールから外れたら、人生が終わる」「休んじゃいけない。休んだら色んな人に迷惑がかかる」そんな固定観念に縛られ切っていて、休む事もせず病気に悶えながら毎日毎日会社に通った。
誰が見ても様子がおかしかったので、心配する人もいた。
肩を叩きながら「何とか踏ん張れ」という再雇用のあの人。
「道を踏み外しちゃいけない」と言う、いつも陽気なあの先輩。
「我々はすごく守られてる立場だから、恵まれてると思わなきゃ」と言う上司。
病院通いやらを聞いて「一体、鈴木君は今後どうやって生きていくんだろうな」と、心底心配しながら煙草をふかしていた先輩。
無論の事、退社後や土日は具合が悪く何もする事も出来ず、ただただずーっと寝ていた。私は何の為に生きているのだろうと思った。
それでも強固な固定観念で首の皮一枚繋がった精神状態で会社員生活を続けていたが、或る日の出来事でその糸が完全に切れる事に。
2017年も暮れる頃。
本部から偉い役職の人(以下、A氏とする)が私の勤める支部にやって来る事になり、夜に飲み会があった。
私と一度でも対面して話した事がある人なら分かるが、私は人と話す時は常に笑う。
これは一種の癖で、口をあまり聞かなかった子供時代からもそうで昔の写真を見ても兎に角ニコニコしているものばかり。
身体反応として、何故か笑ってしまうのである。自分でもよく分からない。
心は別に笑っている訳では無い。
で、一人の上司がその席でA氏に「彼は最近伸び悩んでいる」という話を振った。
伸び悩んでいたのでは無く、鬱で調子が悪くてその影響が仕事にも出ていただけなのだが。
A氏に叱咤激励を受けた。いや、あんまりよく覚えてない。兎に角何か色々と言われた。
----------それでその時、A氏は私の眼を真っ直ぐ見て言った。
「なんでお前はずっとニコニコして私の話を聞いてるんだ。お前はおかしいぞ。普通じゃない」
その瞬間、私の中に繋がってた最後の糸が切れた。
もう無理だ。
ここにいたら死ぬ。
生きていられない。
辞めよう。
死ぬ。
このままじゃ死ぬ。
逃げなきゃ。
逃げなきゃ。
人へかかる迷惑はもう知らない。
全てを放り投げて、或る日から会社に行かなくなる。
デスクの荷物も全部そのままにして。
後日、会社から荷物を詰めた段ボールが届く。
クリスマスプレゼントだ。
使い込んだ黒い鞄、残った名刺、使っていた認印、自分用の仕事についての覚え書きを綴ったファイル・・何もかも全部裏庭で燃やす。
全てを見たくなかった。何もかもに憂鬱がこびりついていて、匂いまで感じるから。
嬉しいなあ、田舎ではまだ自分でゴミを燃やす幸福が許されている。
薄黒い煙が雪の無い空に舞う。隣の家の爺さんが庭木の冬囲いをしている。
そういえば婆さんが生きてた頃、こうやって段ボールをよく燃やしていた事を覚えてる。
苦労して勉強して入った、家族親戚友人からも一目置かれる、地方では稀有な手堅い仕事を捨てた。
・・・・休職したタイミングから、実家に引き籠もった。
それなりの給料もあったし、退職金もあったから欲しかったベースとキーボードを買った。贅沢だ。
憧れのギタリストを真似て買った、グレコのドブロギターが部屋の片隅に置かれてる。
逃げれた事での開放感、漠然とした先への不安、家族からの腫れ物扱い、何かに対する底の尽きない所在無さ。
色んなモノを抱えながら、実家の部屋で曲を作り始めた。2018年の4月だ。26歳の春。
直後の夏に27になり、その頃上京した。貯金・退職金・失業保険を元手に。
家族を除けば、人間関係も何もかも全てを捨てて。
携帯に入ってる全員の連絡先を消したから。
誰とも会いたくない。誰とも口を聞きたくない。誰の顔も思い出したくない。
私はこの時から本当の意味で生き始めて、今に至る。
ああ、生きてて良かった。生きてて良かった。
当たり前のような言葉だが、最近本当にそう思わずにはいられない。
生きてて良かった。
- 作詞者
鈴木 諭
- 作曲者
鈴木 諭
- ミキシングエンジニア
鈴木 諭
- マスタリングエンジニア
鈴木 諭
- ギター
鈴木 諭
- ボーカル
鈴木 諭

鈴木 諭 の“朗読・生きてて良かった。 (Live at 工房ムジカ 2024.07.20)”を
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夏の風はいつも苦しい (Live at 工房ムジカ 2024.07.20)
鈴木 諭
2024年7月20日に工房ムジカにて行った、初・独演会『27年前の私に送る秋田の詩たち。』の模様を全編音源化。当日は酷い雷雨。演出かのように入り込む雨と雷の音。ライブの内容も圧巻。
店主・葛原りょう氏はライブ後に、以下のように書き残している。
「こんなに全身血の気の全力で引くライブは初めてだ。
圧倒的な虚無感。語りの冴えが痛ましく、リアルの極み。
月曜日の雪。犬の川。亀の串刺し、ばあちゃんの遺影。
上田病院。アトピーの歌。怒涛のギターの畳みかけ。
言い尽くせぬライブだった。
たしかに梅雨明けの日暮里は雪国だった。」
筆舌に尽くしきれぬ地獄の世界、心して体感して貰いたい。
いざ、地獄の世界へ。
アーティスト情報
鈴木 諭
地獄の詩世界と秋田弁ブルースを唄う、ただの秋田県人。じゅんさい王国(旧・山本町)出身。2023年頭より弾き語りを本格始動し、代表曲である『犬の川』はライブ演奏を通し多数の人間から「これは犬の楢山節考だ」などと激賞を得た。また秋田弁ブルースは「何を言ってるか全く分からないけど面白い」等の声を集め、ライブの重要要素の一つとなっている。
鈴木 諭の他のリリース
哥処 墨林庵