

部活帰りの 五月の五時を
南林間へ 抜ける塀の道
帰る方向が 同じだけって
言い訳の距離 半歩の隣
ブロック塀の 腰の高さに
白いろうせきの 傘のかたち
その下に並ぶ 二つの名前
君の足と 私の足が止まる
擦れば消える 白い線なのに
どちらの手も ポケットから出ない
遠くでジェットの 残響が過ぎて
「……消す?」と君の 声が小さい
いたずら書きの 傘は下手くそで
柄は曲がってる 骨も足りない
それでも名前は 間違っていない
「雨が消すわ」と 空を見て言う
自分で消せば 否定したことに
残すと言えば 認めたことに
どちらも まだ 持ちきれないから
消すのは雨の 仕事にするわ
それから駅まで 口数が減って
歩幅だけが 揃ってしまう
改札で振る 手がいつもより
一秒長い 五月の夕べ
三日後の雨に 傘は薄れて
それでも白い 名前がひと文字
十年経った 雨の上がりにも
塀側を半歩 歩いてしまう
- 作詞者
Akemi
- 作曲者
Akemi
- プロデューサー
nanayon music
- ミキシングエンジニア
nanayon music
- ボーカル
Akemi

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塀のフレスコ
Akemi
「塀のフレスコ」は、下校路のブロック塀に描かれた相合傘の下に自分たちの名前を見つけた二人が、消すことも残すと言うこともできないまま雨に委ねる放課後を描いたミディアムテンポのシティポップ。
五月の塀の道、腰の高さの白いろうせき、傘の下に並ぶ二つの名前、遠くを過ぎるジェットの残響、そして小さくなる「……消す?」の声――第三者が先に並べてしまった名前を前にした、言葉より先の合意を静かに浮かび上がらせる。
架空のAIシンガー Akemi が歌うのは、自分で消せば否定に、残すと言えば肯定になる白い線を前に、どちらもまだ持ちきれない気持ちを雨の仕事として自分で線を引く、若い日の記憶に宿る大人の感情。
70年代後半から80年代初頭のニューミュージックやシティポップが持っていた、放課後の帰り道、駅までの沈黙、初恋の湿度感を描く叙情性を下敷きに、現代的な感性で再構築した一曲となっている。
塀から駅までの帰り道、口数だけが減って、歩幅だけが揃ってしまう。
十年経った雨上がりにも塀側を半歩歩いてしまう、体の癖として残った始まりの記憶を描いた楽曲。
Produced by nanayon music.
アーティスト情報
Akemi
1970年代後半〜80年代前半の「シティポップ/ニューミュージック」が持つ哀愁と夜の空気感を、生成AIと編集で“作品として”再構築する音楽プロジェクト。 Akemi(アケミ)は、神奈川県大和市出身という設定で生まれた架空のAIシンガー。都会の孤独、大人の恋、夜の感情を、ノワール調のシティポップとして歌う。 作詞・作曲・歌唱・ビジュアルは生成AIを制作ツールとして用いながら制作し、「AIの中にある人間味と懐かしさ」をテーマに探求している。
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nanayon music



